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土と語る 森の中の美術館「兵庫陶芸美術館」新緑が眩しかった。

コバルト金彩ティーセット 1908年以降

「兵庫陶芸美術館」は、日本六古窯の一つ丹波焼の里に建つ美術館です。

美術館のキャッチコピーそのままの「土と語る 森の中の美術館」で、周囲が緑に囲まれ、新緑の季節と秋の紅葉の季節は殊に美しく、心癒されます。車で訪れる人が殆どで、公共交通機関で訪れるとなると、美術館HPアクセス案内で電車とバスの接続を要チェック!意外にも宝塚からならそれほど時間はかからない。陶芸教室や時折のコンサートの開催や、窯元巡りの露地歩き(コロナ禍で中止)などイベントも多彩です。レストラン横のウッドデッキから眺めれば、対岸の山の麓に丹波焼窯元の家々広がります。


ウッドデッキからの眺め

オールドノリタケ×若林コレクション-アールヌーヴォーからアールデコに咲いたデザイン-」が開催中で、電車とバスを乗り継いで出かけてきました。車窓からは田植えの準備が始まっている田んぼを眺め、キラキラ輝くような新緑に囲まれ、時折鳥たちの囀が聞こえてきました。渋い丹波焼と対照をなすようなオールドノリタケの豪華な世界を楽しんできました。

美術館の説明にもあるように「オールドノリタケとは、株式会社ノリタケカンパニーリミテドのルーツ、森村組および日本陶器によって、明治中期から第二次世界大戦期にかけて製作・販売・輸出された陶磁器を指します。」明治前期、明治政府の殖産興業の下で輸出用の陶磁器の生産が強化されるなかで、オールドノリタケの製造が始まりました。オールドノリタケは政府の援助を受けることなく独自で海外に販売拠点(モリムラブラザーズ)を築いた民間企業(森村組)によって作られた点が他の輸出陶磁と大きく異なります。アメリカを中心とする海外に輸出された陶磁器ですが、ここ数十年前までは長らくその存在が忘れられていたそうです。家庭にあった品々がオークションなどで市場に出始めると人々の眼に留まるようになり、再び注目を集めて人気を博すようになりました。

本展は、日本屈指のオールドノリタケコレクションである「若林コレクション」から技巧を凝らした選りすぐりの陶磁器やデザイン画など約250件を「モチーフ」「スタイル」「テクニック」「ファンクション」の4章構成としてオールドノリタケの多様性を読み解き、そのデザインの魅力にも迫ります。


色絵金盛林檎文双耳花瓶 1891-1921年ごろ

第1章 モチーフ

「植物」「動物」「人物」「風景」「異国趣味」とモチーフを5つに分けて紹介しています。

モチーフの展開に大きな影響を与えたのが、大倉孫兵衛、後の「大倉陶園」の創立者です。

東京・日本橋で絵草紙屋を経営してた大倉は、森村組の事業に参画して、絵草紙屋で培った審美眼とデザイン感覚を生かして、森村組でアートデレクターの役割を果たすようになり、陶磁のデザインに一大転機をもたらしました。きっかけとなったのは1893(明治26)年のシカゴ万博です。大倉は西欧の陶磁器を目にして日本陶磁との差を感じ、西洋陶磁の道具類や陶磁器を持ち帰えり、専属絵付職人に和風から西洋風のデザインへの転換を要請しました。洋風の絵柄、装飾文様、構図、色彩など西洋風デザインへ他社に先駆けて舵を切りました。一方日本的なモチーフもすべて捨て去った訳でなく、19世紀後半から流行した「日本趣味」に沿った和のモチーフを西洋風にアレンジしたり、エジプトやインドなど「異国趣味」のモチーフのものもあり、輸出用に様々なニーズに合わせて多様多彩なモチーフで制作されたのでした。


色絵金彩ビーディングカラー文耳花瓶 1911-21年ごろ アールヌーヴォースタイル

第2章 スタイル

1900(明治33)年のパリ万博ではアールヌーヴォーが大流行し、ジャポニズムの流行は過去のものとなっていました。洋風のデザインにいち早く舵を切っていた森村組は時代の波に乗り遅れることはなかったのです。陶磁器の世界でも、常に流行を感じ取り次々と新しいデザインを生み出していかなければなりません。そこに大きく貢献したのがニューヨークに拠点を置くモリムラブラザーズの図案部でした。図案部にはアメリカ在住の日本人画家や日本から渡米した絵師が現地で生活を体験しながら、女性のファッションなどから流行を感じ取り、新しいデザインを考案したと説明されていました。最先端の欧米のスタイルに日本流の解釈を加えて独自の表現を生み出していきました。ここでは特徴的な4つのスタイル「ジャスパーウェア風」「クロワゾニスム風」「アールヌーヴォー風」「アールデコ風」が紹介されていました。「アールヌーヴォー風」は有機的な曲線が優美で目を惹き、うっとりと眺めてしまいます。単純化された文様と明快な色彩が特徴的な「アールデコ風」は、「ノリタケ・アールデコ」と呼ばれ、ポップで愛らしく人気を博したそうです。海外から送られてきたデザイン画と一緒にそこから形になった陶磁器も展示され、日本の職人の技と心意気も伝わってきます。


色絵コバルト金盛蘭文花瓶 1891-1921年頃

第3章 テクニック

オールドノリタケの魅力を際立たせる”テクニック”、特徴的な装飾があります。代表的な装飾技法が、器体の表面を泥漿で盛り上げる「盛上」と盛上に金彩を施す「金盛」です。濃い紺色に発色する「コバルト」やエナメルを宝石のように器面に散りばめる「ジュール」、泥漿で器面を点状に盛り上げ金彩を被せる「ビーディング」など複数の装飾技法を併用することでこれでもかとばかりに絢爛豪華な器が生み出されてきました。器体の表面を腐食させる「エッチング」のほか、陶磁器の原料である粘土の可塑性を活かした成形や装飾もあり、布のような肌合の「布目」や石膏型で浮き彫りを施す「モールド」、絵具に濃淡を付ける「ぼかし」の技法などがあります。1920年代に登場した「ノリタケ・アールデコ」には、虹色に輝きメタリックな質感を持つ「ラスター彩」がこの時代のアメリカを象徴する彩色として大量に生産されたそうです。


色絵モールドグリフィン型セロリディッシュセット 1918-41年頃

第4章 ファンクション

森村組はもともと装飾性が高く美術品としての性格が強い器である「ファンシーウェア」を作っていました。細やかな技巧が凝らされた贅沢な作りにもかかわらず手頃な価格帯であったため、中産階級を中心にアメリカで人気を博しました。初期の作例は、飾壺、花瓶、飾皿、チョコレートやコーヒー用セットなどです。

アメリカでの需要の拡大は図るため、実用に耐えうる「ディナーウェア」の製品化に取り組み、日本陶器を創立し、1913(大正2)年に日本陶器製白色硬質磁器のディナー皿が誕生します。以降、生産の主力はディナーウェアへ移っていきました。

時代の流行を敏感にキャッチし、顧客のニーズを反映した図案を考案して、日本の職人が確かな技法でデザインを忠実に形にする。形、色、技法と多種多様に展開する華麗なオールのノリタケの世界でした。

こちらの展覧会は、いつも丁寧なパネル解説があり、本展は写真撮影もすべてOKでしたので、本ブログは展示場内の解説を参考にまとめたものです。

それにしてもオールドノリタケに魅せられた若林コレクションのコレクターとはどんな人物なのでしょう。気になります。






デザイン画_色絵金彩花文鳥付掛花入

【開催概要】

  • 会場:兵庫陶芸美術館(兵庫県丹波篠山市)
  • 会期:2022年3月19日(土)~5月29日(日)
  • 開館時間:10:00~18:00 ※入館は閉館の30分前まで
  • 休館日:月曜日
  • 観覧料:一般:1200円/大学生:900円/ 高校生以下無料
  • 美術館展覧会サイト⇒

丹波焼の現代の作家さんの作品を紹介するお部屋から



プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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