東京国立博物館で三時間歴史旅行+一時間 特別展「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」
纏向遺跡、箸墓古墳、三輪山、大神神社、聖林寺、神と神話と仏が同居する空間、奈良。今回、東博に足を運んだ最大の理由は本館で行われている聖林寺展の為。彫刻部門や特集コーナーでは、聖林寺展に関連させた展示も行われておりました。恵みを与え、人知を超えた現象を惹き起こす自然。人間にとって、あらゆる知識を以て未知の領域を解明しようとも、邪に改変しようとも、揺らぐことは無い自然。模造の酒造器が出土した山ノ神遺跡(大神神社は日本最古の神社と言われているそう、祀られている大物主は酒造りの神でもあるらしい)の様に神の山、磐座で祭祀を行う、古神道に繋がるような祈りの源流となる自然信仰が三輪山で古くから行われていたのだろうか。NHKでは史実としての邪馬台国を纏向遺跡、箸墓と関連付ける番組も放送していましたね。原始的な信仰と、ある程度かたちが生まれてきた信仰の結び目を桜井市の遺跡、社寺は伝えているのだろうか。とにかくこの一帯の古代史的宗教的密度の高さというものは特異なものがありそうです。
本州に限らず、宗教施設を伴わない祭祀の様な古い形の宗教であれ、神道であれ、修験道であれ仏教であれ、八百万の神であれ、あらゆるものに仏性が宿ると考える心であれ、底に流れるものは共通しているのかもしれない。大神神社には本殿が無い、仏教も始まってかなり長い間、仏像が作られることは無かったという。神社や寺の御神木、霊跡として仏が彫り込まれた巨石、あるいは三輪山の様に山や海、滝や湖沼に神や仏の姿を見る信仰というものは全国各地で見られる。日本国歌でさえ自然現象(「天皇賛美」一辺倒の考え方は英国の女王陛下万歳の影響が強いと思う。あくまで私見ですが。)を歌っているようにしか思えない。
東博の展覧会に限らず仏像、神像を拝観する際は、ある程度どのような背景、歴史を持っているのかという興味は持ちつつも、先ずは小難しい事を置いて、「その時」自分の心に感じたことが大事だと思っております。ある静岡の寺で「仏像を鑑賞するには、なんかこの仏様いいね、というような見方でもそれはそれで良いのではないか」とお話を聞いたことがあるからでもあります。
寺に足を踏み入れた瞬間、一体の仏像に出会った瞬間、確かに何らかの霊感の様なものを感じることがあります。いわゆるスタンダール症候群なのかもしれません。私たちの世界にはそれでも、沢山の不思議があると思います。極めて大きな意味での文化と言うものは、定量的に測れない領域にこそ真価があると実感しております。それほど足を運べるものではありませんが、これからも人の技、自然の技を拝み、鑑賞してゆければと思います。