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東京国立博物館で三時間歴史旅行 熊本・銀象嵌銘大刀

日本語は世界一難しいと耳にする。実際語学を習っている人はアラビア語や中国語、フランス語の方が難しいのでは?と言うそうだ。大別して文字、文法、発音で難易度が分かれそう。それでもかつては、やはり世界一と言ってもよいくらい日本語の難度は高かったのでは思わされる。

文字が日本に伝わったのがいつなのか?弥生時代には有って、最近は硯に文字が新発見されて年代が古くなったと報道がありました。文章として成り立っているもので古い物は?古墳時代の大刀に刻まれているものが今のところ最古だそうです。東博平成館ではそのうちの一振り、しかも国宝をかなり間近に眺めることが出来る。隣の南洋の神の様な石人のインパクトが強いですが、熊本で発掘された銀象嵌銘大刀!文中では天下という言葉が気になるところです。頼朝の天下の草創より遥か昔に天下人が存在したわけではなく、中国の思想の影響(中華思想?)を受けたものだそう。ただし、人名は古代日本語で書かれているそうです。漢文を書き下し文にするの難しかったなぁ。学生の頃、思い出します。日本の知識人はほとんどの時代を漢文で過ごしてきたわけで、それに加えて遣唐使の時代は漢音で発音していたなんて習った記憶もある。暗号解読の様な漢文に独特の中国語の発音、それらを習得するだけでもエリートだったのだろうなぁ。

仏教関連展示室には、唐に派遣された吉備真備の娘、吉備由利が西大寺に納めた一切経の一部が展開されていましたが、力強い文字も奈良時代の巻物とは思えないほど黒々と浮かび上がっておりました。非常にベタですが、達筆としか表現できません。文中には繰り返し「感動」の文字が。これが今日の意味での感動なのかは分かりません。もしかしたら感動の語自体が仏教用語由来なのかもしれません。男女平等が呪いの様に唱えられる現代から見ると、奈良時代に女性でこういった品物を納める役割を担っていた人物がいたことは驚きです。でも、振り返ってみれば日本史上に決定的な役割を果たした女性は意外に多いように思います。卑弥呼、推古天皇、日本唯一の世界文学作家と言ってもいいかもしれない紫式部 、頼朝の首を飛ばさなかった池禅尼(それがあだとなって平氏が衰退してしまうのは歴史の皮肉、頼朝が死んでたら武家社会は生まれない?)あるいは頼朝の幕府の命脈を繋いだ有名な演説の北条政子 、戦国時代には有名な姫君が幾人かいますが、ある意味で戦乱を終わらせたのは淀殿ではないでしょうか。豊臣秀頼本隊が大坂から出て三成に合流していたら、関ケ原は西軍が勝っていたという説もあるとか。女は弱い立場にあるとは言うものの、よく考えずともいつの時代も女性無くして歴史は動きません。


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