
特別展「梅津庸一 クリスタルパレス」
国立国際美術館|大阪府
開催期間: ~
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梅津庸一の大規模個展を国立の美術館で開催 アーティストトークとギャラリーツアーに参加してきました。
現代美術家 梅津庸一をご存じでしたでしょうか。
現代アートに疎い私は全く存じ上げない美術家さんですが、最近何度か目にしている記憶がありました。
現在、本展と同時進行で『梅津庸一|エキシビション メーカー』@ワタリウム美術館(8/4まで)を開催中。
今春西美で開催された『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ』や2023年『ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」』@森美術館へも参加した美術家さんでした。
兎に角、展覧会参加や個展も多く、経歴年表のようなものはなかったが(展示会場を巡ればその作品で辿れる訳ですが)上記西美の展覧会のHPに参加作家の略歴が掲載されていますのでご参照ください。
1982年生まれの新進気鋭の美術家と言っても良いのではないかと思います。
大家として名を成した彼の上の世代の現代アート作家とは一線を画し、まだまだどう変容していくのか掴みきれない現代進行形の作家さんです。
国際美での開催で、「現代アート」と言うことで、アーティストトークに参加することにしました。大阪に何のゆかりもない若手の現代作家(敢えて若手と言わせて頂く)ということで、ご本人も人は集まるのだろうかと危惧されていたようですが、“知ってる人は知ってる”の美術家さんで、立ち見も出る大盛況のアーティストトーク、時間が超過気味でしたが、有意義な質疑応答もありました。
その後、展示会場を一巡して戻ってくると、ナント!梅津さんによるギャラリーツアーが始まる場に出くわし、作家さん直々に制作当時のご自身の心境などもお聞きしながら会場を再度回る事が出来とても濃い時間を過ごす事が出来ました。
(私から見れば)40過ぎの若い作家さんが国立の美術館で個展を開催する。「気負いはなかった」と言う訳ではないでしょう。“X”にも「ここ数年に開催した小さな展覧会たちはクリスタルパレス展のパーツをつくるためでもあった」とも呟いておられる。担当は梅津さんと同い年の福元崇志研究員です。本来の展覧会なら2年以上の準備期間を経て開催されるところですが、本展は1年ほどの準備期間で作家さんと担当研究員の二人三脚、いえ、梅津さんなら展覧会に関わった全ての人(制作に協力してくれた人や展示会場の設営の方まで)で作り上げた展覧会と話されるかもしれない。梅津さんのお話の節々で、彼の作品や展覧会が出来上がるのに協働した人々全てに深い敬意を払い、展示会場には彼らとの対談や仕事風景の動画が上映中です。
展覧会は2000年代の梅津の美術家としての活動を追うように5章構成です。
1章「知られざる蒙古斑たちへ」
大人になっても消えない蒙古斑が残っている。
小学校6年生のときに描いた作品《校庭から見える風景》から始まります。点描で表現し後の梅津の手法の萌芽が見られます。山形から上京して東京の美大へ入学するも、大学では絵を描かないのが当時の流行りのようになっていて、それに相反するようにスーパーリアリズム風に描いた静物画《鶏肉》、卒業制作で黒田清輝の師であったラファエル・コラン《花月(フロレアル)》をもとに描いた《フロレアル(わたし)》で日本の美術教育に一石を投じることになります。《フロレアル(わたし)》や黒田清輝の《智・感・情》をもとに描かれた《智・感・情・A》で私たちは梅津庸一という美術家を知ることになったのではないでしょうか。注目を集めたデビュー作は、その後の制作活動でのハードルとなったようです。
2章「花粉を飛ばしたい!」
介護施設で働きながら、わずかな時間にメモ書きのように描いた小さな作品群。
それまでの美術関係者との関係を断ち切って美術共同体「パープルーム」を設立します。この私塾が再現展示されており、その生活ぶりも垣間見えます。Twitterだけを頼りに訪ねてくる若者もいたそうです。
3章「新しいひび」
世界中が閉塞感に包まれたコロナ禍に梅津は、日本六古窯の1つ信楽へ逃亡し、陶芸を始めます。陶芸を1から習い、陶板も制作することになります。梅津のキイワードの一つである「花粉」そこから生まれた大量の『花粉濾し器』。章の標題にもなっている「ひび」は、「日々」でもあり陶器の生成過程で出来る「罅」にも通じます。陶板制作では、鳴門の大塚国際美術館の陶板を制作した「大塚オーミ陶業株式会社」で多くを学び、教えを請いながら協働制作しています。(※陶板については大塚国際美術館について書かれた玉岡かおる著『われ去りしとも美は朽ちず』がお薦めです)壁面に展示された絵画にも色彩の豊かさや美しさが戻り、梅津が精神的にとても安定していた時期であったことが伝わってきます。しかし心地よさに安住してはいけないと次のステージへ足を踏み出していきます。
4章「現代美術産業」
この章では、陶芸から引き続き、芸術と産業について梅津が考えていることが提示されています。
「版画工房カワラボ!」との協働で版画制作を始めます。カラフルな壁面もリトグラフを貼ったものです。陶板や版画にしても、それは美術家一人で出来上がっているものではないことを提示し、さらには作品を飾り、守る額も注視したい。
最終章となる5章「パビリオン、水晶宮」
1990年代、GLAYやL'Arc〜en〜CielやLUNA SEAなどバンドが大流行した時代から梅津はヴィジュアル系バンドの虜になり(特に「SHAZNA」のファンだったそうです)、夢叶って本展ではDIAURAが本展のために楽曲「unknown teller」を書き下ろし、梅津がジャケットとミュージックヴィデオを担当してコラボが実現しました。展示室に流れる楽曲は懐かしくも聞こえ、壁面に映し出されるミュージックヴィデオがとても良かった!このMVを見て梅津の陶芸作品の本領発揮?章題「クリスタルパレス」は、1851年、第1回ロンドンの万国博覧会に建設され、後に巨大な温室を含む複合施設として使われた鉄骨とガラスのパビリオン(水晶宮)のことであり、展示会場の国立国際美術館の出発点は1970年大阪万博の「日本万国博覧会美術館」(万国博美術館)であり、来年大阪で開催予定の万博にも関連しています。また「美術」というこという日本語は、1873年ウィーン万博への参加に当たって”fine art”の訳語として考え出されました。最終章で様々な事を抱え込みながら最初の展示へ戻ってきます。
展示会場も梅津庸一によるキュレーションで、それも見どころのとなっています。
展示作品は、多岐にわたりもとても多い。40代初めという作家さんに勢いも感じ、大規模個展をここで開催したからと言って彼を総括することは出来ない。あらゆるところへ触手を伸ばし、問題意識を持ち、まだまだ問題提起を続けていくでしょう。
ワタリウム美術館では、7/6(土)に、本展企画担当の福元崇志研究員も参加する新藤淳(国立西洋美術館主任研究員)+梅津庸一のトークイベントが告知されています。ご興味のある方は是非是非、そしてレポートお願いします。
会場内は写真撮影はOKでしたが、アートブログとして掲載の許可については伺ってこなかった(こんな長い感想を書くつもりもなかった)ので、長い長い鑑賞レポートとなってしまいました。
会期も長いので、村上隆も良いけれど、是非是非新進気鋭の美術家の大規模展覧会にも足を運んでほしいし、ギャラリーツアーにも参加してほしい。告知なしのご本人によるギャラリーツアーもありそうです。
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- BY morinousagisan