没後100年 富岡鉄斎
京都国立近代美術館|京都府
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「万巻の書を読み、万里の路を行く」につきる
4回の展示替えがある鉄斎展です。
鉄斎は、江戸、明治、大正と生き、89歳という長い人生に、1万点以上の作品を残しました。
1985年に生誕150年記念として京都市美術館で開催された大回顧展は、どうやって展示されたのかは謎ですが、500点以上の展示がされ、伝説的な展覧会であったらしく、今もその図録がよりどころとなっているそうです。
私にとっては、2016年春に兵庫県立美術館で開催された『生誕180年記念 富岡鉄斎-近代への架け橋-展』がとても印象に残っています。
作品数も多く、鉄斎と親交のあった辰馬さんや清荒神さんもあって、鉄斎作品を目にする機会は多いですが、私などにも観ればこれは鉄斎と分かるが、その良さ、人気、凄さがイマイチ分からない。いつも見かけていた鉄斎作品はほぼ軸装で、《妙義山図・瀞八丁図》を見た時は垂直と水平への広がりにビックリしました。
最後の「文人画家」と言われながらも、ご本人は絵描きではなく「学者」として生きた人でした。「自分の画を観るときは、まず賛を読んでほしい」と言っていたそうです。その「賛」は、読めるはずはないのですが。鉄斎の作品は、詩書画一致、賛があってこその画でした。
軸装の作品がどうしても並びがちになる展覧会で、本展では、「京都御所の近所の、室町通一条下ルに邸宅を構えていた彼の書斎(画室)を彩っていた文房具や筆録(旅行記や研究用メモ)」や癖であった蒐集していた膨大な印章の一部(といっても、かなりの数)が展示されています。
鉄斎は江戸時代末期に京都で生まれ、激動の時代を勤皇の志士とも交流をもち、その友が安政の大獄などで死していくのも体験し、明治維新では30歳になっていました。鉄斎の写真を見ると長い白い髭を生やし、「仙人」のようです。膨大な書籍を有し、読み、先人の遺跡や地誌を調査研究するために日本各地を旅し、それらを元として画を描き、賛を書く。ある種の「知の巨人」でもあったのではないかと。息子の謙蔵は早くに亡くなってしまうのですが、彼の友人でもあった(中国史を学ぶ者にとっては神様みたいな)内藤湖南や狩野君山とも晩年まで親交を持ち続けたのでした。
鉄斎が生きた時代は、文人趣味も流行していたのか、鉄斎に絵を描いてほしいという人は多く、鉄斎を慕う人の所で逗留しながら書画を残して居ます。
4回も展示替えがあるとは知らず、初日に出かけてしまいました。安易にサーっと見てしまい少し後悔しています。作品リストはHPからダウンロードでき、スマートフォンアプリ「カタログポケット」で作品解説が聴ける作品もあります。先に聞いておかれるのも良いのではないかと思いました。
今回、京国美へ出かけて一番印象に残ったのは、4階のコレクションギャラリーの國府理《プロペラ自転車》でした。あのような最期をむかえた國府を思いグッときました。
京国美を後にして、星野画廊さんの「近代洋画壇の重鎮-日本独自の洋画発展に捧げた人生-黒田重太郎遺作展」、思った以上にたくさんの作品があり、セザンヌに影響を受けた風景画、堅固な裸婦像、色彩豊かな静物画と見応えありました。(5/4まで)
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