生誕120年 安井仲治 -僕の大切な写真
兵庫県立美術館|兵庫県
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東京ステーションギャラリーへ巡回しますので、写真はちょっとという方にもお薦めします。
写真の分野となるとさらに疎い私で、その用語さえも分からない。それでも不安を持ちながら県美へ出かけましたのは、「流氓ユダヤ」を県美のコレクション展で見たことがあったからなのです。そんなこともあって予め、巡回する3館の担当学芸員さんへの取材記事や安井は芦屋や宝塚に住んでいたこともあって研究の蓄積がある兵庫県美の担当学芸員である小林さんへの取材記事もなども読んだりしていました。そしてなんといってもアートアジェンダさんの【FEATURE|内覧会レポート】『世界と“私”の交感 安井仲治の写真が内包するひずみと超越性』」は秀逸でした。
コレクション展に本展の関連展示として「関西写壇物語」に「流氓ユダヤ」もあり、そちらも観る事にして、会期末になってしまいましたが、担当学芸員解説会に合わせて行ってきました。
解説会も聴講した上での、各章の説明はとても分かり易かったですし、主だった作品にも解説がついています。
安井は、大正から太平洋戦争という激動の時代に生き、38歳という若さで亡くなっていますが、その密度が濃かったです。
ほぼ時系列の5章構成で、新しい手法へどんどん挑戦していき、モノクロの写真に質感が見えるようでした。考えられた画面構成、構図、影、光と写真に詳しくない私にも「わぁーいいなぁ」とか「なるほどねぇ」とか「実験的?」「これが写真のシュルレアリズム?」という気持ちがわきあがってきました。モノクロがいい!
当時は関西が写真においては前衛的で活況があったし、テート美展でも「芦屋カメラクラブ」のハナヤ勘兵衛の作品もありましたね。若くしてその中心的人物だったのですね。写真クラブでの活動も楽しそうで、本当に写真が好きだったのですねー。家庭が裕福だったことも幸いしています。安井は文章も上手かったし、仲間にも恵まれ(安井の人柄もあったでしょう)、講演会となれば写真の歴史を丹念に調べているし、海外の雑誌も入手して研究していたようです。
展示会場壁面には、安井の言葉も書かれていました。
「カメラは無論小さくなりましょう。そして其機構は徹底的に単純に、技法は簡易になり「写真家」と云う特殊な称呼はなくなり、全く普遍化します。しかし其芸術としての立場は恐らく進歩しますまい。」(「百年後の写真 写真家は無くなる。」『アサヒカメラ』1935年1月号)と安井は予測していました。
兵庫県美は12日までですが、TSGへ巡回しますので、関東方面の方にお薦めします。
アートアジェンダさん素敵なチケプレありがとうございました。
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- BY morinousagisan