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生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」

生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」

奈良国立博物館|奈良県

開催期間:

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「かつてない空海展」というのは本当だった!

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん。」(『性霊集』巻第八)

奈良国立博物館(以下「奈良博)で「生誕1250年記念特別展『空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界』」が始まりました。
奈良博のHPを見ると「奈良国立博物館の総力をあげた展覧会を開催します。」と最初に掲げてあり、本展YouTubeを視聴すると、館長が都内某所での記者発表で「かつてない空海展」と発表されて、その「かつてない」が岡田監督の「アレ」のように歩き出しました。
そうしてついに始まった「かつてない空海展」は、本当に正真正銘「かつてない」空海展になっていました。
仏教美術を専門とする奈良博では、「快慶」「糸のみほとけ」「1400年遠忌の聖徳太子」などこれまでも強く心に残る展覧会を開催してきました。空海や密教に関連する展覧会は数多く開かれてきましたが、本展ほどの規模と内容の展覧会はなかったのではないだろうと思いました。今年も東京国立博物館で「創建1200年記念 特別展『神護寺―空海と真言密教のはじまり』」や大阪中之島美術館で「開創1150年記念 醍醐寺 国宝展」が開催されます。本展は、これらの展覧会の理解にも繋がる展覧会です。

【みどころ】
1. 空海密教の実像に迫る!
 空海の伝えた決して易しくはない密教を、残された史料から各章の説明、パネル解説やキャプションなども駆使して丁寧に読み解きます。
2. 空海自ら制作を指揮した「高雄曼荼羅」を修理後一般初公開!
 国宝「 高雄曼荼羅」(京都・神護寺)は、現存最古で空海が制作を指揮した現存唯一の両界曼荼羅で、日本の曼陀羅の原点です。6年の修理を経て修理後初の一般公開となります。
3. マンダラ世界を立体で再現!
 空海が伝えたかった密教の世界観が再現された展示空間で、マンダラ世界を身をもって体感する。
4.「唐以前」の密教の源流を紹介!
  陸と海のシルクロードを経てインドから中国・唐、日本へと伝わった密教の伝来の軌跡を遡ります。
5. 国宝28件、重要文化財59件、密教の名宝がここに集結しました。
  作品リストを見れば一目瞭然、国宝・重文の数珠繋ぎ。見逃せない貴重な空海直筆史料も多く展示されています。

展覧会は5章構成、各章だけでも1つの展覧会が成立する展示内容です。 

第1章 密教とは-空海の伝えたマンダラの世界
最初の展示室に一歩足を踏み入れるとあっと息をのむマンダラの空間が広がります。
「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」と空海は述べていました。
空海が描いた密教の世界観へようこそ。
密教は大日如来を中心とする仏の教えです。国宝 《五智如来坐像》(京都・安祥寺)が、智拳印を結ぶ金剛界の大日如来を中尊として、東に阿閦(あしゅく)、南に宝生(ほうしょう)、西に阿弥陀、北に不空成就が配されています。「五智」とは大日如来が備える5つの知恵の事です。空海は国を護る新しい法会である「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」という真言密教の修法を奏請しました。大内裏内の宮中真言院で行われ、道場には両界曼荼羅、十二天像、五大尊像が懸けられました。

曼荼羅は、密教経典の思想を視覚的に表すために、ほとけたちを絵図や仏像を配したものです。胎蔵界曼荼羅は『大日経』を、金剛界曼荼羅は『金剛頂経』をもとに構成されています。
展示室奥の壁面には、重要文化財《両界曼荼羅(血曼荼羅)》(和歌山 金剛峯寺)が天井より懸けられ、それぞれの前には密教法具を並べた仏が降臨する舞台である重要文化財《両部大壇具》(奈良 室生寺)が置かれています。「血曼荼羅」との物騒な別称を持つこの曼荼羅は、胎蔵界の中尊大日如来の宝冠を平清盛が絵具に自らの頭の血を混ぜて彩色したと『平家物語』にあることからこのように呼ばれています。右壁面には、現存最古の十二天を完備する 国宝《十二天像》(奈良 西大寺)、左壁面には 国宝《五大尊像 不動明王・大威徳明王》(京都 教王護国寺(東寺))が懸けられています。

第2章 密教の源流-陸と海のシルクロード
密教は、仏教発祥の地であるインドで誕生しました。密教の体系的な教学は2人のインド人僧によって8世紀に中国 唐に伝えられたことが分かっています。
大乗仏教の思想を基盤とした独自の理論的な世界観が形づくられていき、7世紀には2つの経典が成立しました。密教の教主、大日如来(大毘盧遮那仏)が心の在り方とその実践を説いた『大毘盧遮那成仏神変加持教』(通称『大日経』以下『大日経』)と悟りを得て仏と成る(即身成仏)実践方法を具体的に説明する『金剛頂経』です。『大日経』は、陸のシルクロードを通って唐に入ったインド出身の僧、善無畏(637-735)の協力によりもたらされました。入唐時はすでに80歳だったそうで、弟子の中国人僧、一行(683-727)が漢訳しました。一方、『金剛頂経』は、インド人僧の金剛智(671-741)がスリランカやインドネシアの島々の海のシルクロードを通って唐の広州に至り『金剛頂経』を漢訳しました。金剛智の弟子である不空も、別の『金剛地経』を翻訳しています。不空は祈祷や修法を用いて密教に護国思想の要素を持たせました。不空の弟子である恵果(746-805)は、『大日経』と『金剛頂経』2つの思想系統を1つのものとして体系化し、様々な儀礼や経典を整備して、密教は中国において最盛期を迎えました。そんな恵果の元を訪ねたのが入唐僧の空海でした。
仏教の伝播に北伝と南伝があったように、密教にも海のシルクロードルートが存在し、本展ではインドネシアのジャワ島東部にあるチャンディ・ロル寺の遺跡から出土した《金剛界曼荼羅彫像群》 (インドネシア国立中央博物館)が修理を終えて展示されています。小型のブロンズ像によって構成された立体曼荼羅です。展示室にはガムランが流れていました♬

第3章 空海入唐-恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合
空海は、不空が入寂した年、宝亀5年(774)に讃岐国に生まれました。幼い頃からおそらくとても優秀だったのではないかと、官僚候補生養成機関である大学で学びますが、若き空海も修学に悩みます。静かな場所で虚空蔵菩薩の陀羅尼を百万回唱えるという「虚空蔵求聞持法」で世俗を離れ仏教に専念する決心をしました。
国宝《聾瞽指帰》(和歌山 金剛峯寺)は、空海24歳の著述です。これまでも目にしてきましたが、迷いが吹っ切れた空海の力強い決意が伝わってくるようで力づけられる見事な書です。
延暦23年(804)空海31歳の春に東大寺で得度し、滑り込みセーフで5月に20年の予定で遣唐使として中国に渡ります。唐で学びたい一心での長期留学といえども20年も経て帰国すればほぼ浦島太郎状態と当時の人は迷うことはなかったのでしょうか。この年最澄も短期滞在として唐に渡っていました。
帰国組の留学僧や来日した中国僧が身近にいたとはいえ、空海は入唐前に中国語の読み書きは勿論、流暢に話すこともできたと考えられます。都長安でインド人僧の般若三蔵からサンスクリット語(梵語)を学びました。延暦24年5月に中国密教の高僧である恵果阿闍梨と運命的な出会いをしたと書かれています。老齢の恵果は空海と会ってすぐに密教の伝授を始めました。恵果に胎蔵界・金剛界の両方を伝授されたのは、空海と義明の二人だけで、恵果は空海がそれにふさわしい僧であることを一目で見抜いた様です。その期待通り空海は三か月という超短期間で全ての教えを理解し、伝受したのでした。恵果と空海の関係は「写瓶弟子」(瓶の水をそっくりそのまま注ぎ移すように伝えた弟子)と説明され、面と向かい合って教えを乞う姿を想像して感動的です。この年12月に恵果は入寂しました。重要文化財《恵果和尚之碑文》(京都 教王護国寺(東寺))には師を失った空海の悲しみが綴られています。空海は恵果の言葉に従いすぐに帰国して密教を日本で布教するべく、滞在期間2年で帰国します。滞在期間を大幅に短縮して帰国した空海は直ぐに都に入ることは許されませんでした。

国宝《弘法大師請来目録》(京都 教王護国寺(東寺))は、空海が帰国直後に執筆した成果報告書です。空海が新たに請来した経典、仏画、密教法具を列記し、修学の経緯と内容も記しています。伝授された密教を日本で広めたいという空海の熱い思いも綴られているそうです。この章では、空海が唐より請来した密教法具や珍しいシャンク貝の《白螺貝》、空海も見たかもしれない中国・西安碑林博物館所蔵の大理石製の美しい一級文物《文殊菩薩坐像》、空海の枕本尊(常に身近に安置し礼拝した仏像)と称されてきた国宝《諸尊仏龕》(和歌山 金剛峯寺)、空海が写経生も動員して書写した粘葉装の国宝《三十帖冊子》(京都 仁和寺)なども必見です。

第4章 神護寺と東寺-密教流布と護国
大同4年(809)都に入ることを許された空海は、高雄山寺を拠点に活動を始めました。
国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》(京都 神護寺)は、空海が制作を指揮した現存唯一で最古の両界曼荼羅で、高雄山神護寺に伝来したことから国宝「高雄曼荼羅」と呼ばれています。淳和天皇の御願により天長年間(824-834)に制作され、空海が創建した神護寺根本真言堂(灌頂堂)に安置されていました。空海が初めて日本にもたらした両界曼荼羅の最も正しい姿を伝えています。赤紫綾地を地絹として金銀泥のみで描かれています。後宇田院による延慶2年(1309)、光格天皇・御桜町上皇による寛政7年(1795)の修理を経て、平成28年(2016)から6年の歳月をかけて3度目の修理を終えて、本展で一般に修理後初披露されています。修理にあったのは数々の文化財修理を担当されてきた岡墨光堂さんです。修理前は軸を広げただけでぼろぼろと塵芥が舞うような状況だったそうです。主に裏打ち紙を交換し、前回の修理箇所を取り除き、欠損個所の補填、今後の保管のため表具裂、軸木・軸先の新調などです。曼荼羅の図像がくっきりと見えます。

空海が修得した体系的な密教について多くの僧侶が学び、密教の受法儀式である灌頂を受けました。受法者の名簿が国宝《灌頂歴名》(京都 神護寺)で、弘仁3年11月の金剛界灌頂、12月の胎蔵界灌頂どちらも最初に最澄の名前があります。最澄と空海は互いに敬い手紙を書き送っています。空海が最澄に宛てた手紙(尺牘)である国宝《風信帖》(京都 教王護国寺(東寺))[前期展示]や空海のもとで修業している弟子の泰範に宛てた最澄直筆の書状、国宝《尺牘(久隔帖)(奈良国立博物館)[後期展示]も展示されています。空海と最澄は、信じる道の向き合い方の違いからやがて疎遠になって行ったそうです。

密教の修法や祈祷などで国を護るようにと、空海は平安の都の入口に建つ東寺の運営を朝廷より任されて拠点を移します。真言密教の流布と護国の役割も担うようになっていきます。空海は真言密教の教学体制の整備のため執筆活動も精力的に励み、多くの著作を残しました。
国宝《両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉)》(京都 教王護国寺(東寺))は、彩色による両界曼荼羅としては現存最古の絵画です。図像の肌色が瑞々しく表情が柔らかで彩色が本当に美しい。

第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰
帰国後の空海は真言密教を広めるために超多忙な日々を過ごす中、自然の中で心静かに修業し、瞑想したいと願うのは当然のことだったでしょう。朝廷の勅許をえて高野山に金剛峯寺の建立に着手します。自分が理想とする地に一から伽藍や配置を設計して空海が思い描く寺院を具現化し、承和2年(835)62歳で高野山で入定しました。空海本人が遺した遺言はなく、空海の遺言というものは弟子が筆記したものも含め6種類も残っているそうです。

数々の名宝が展示される「かつてない」スケールの本展へ是非是非お出かけ下さい。
壮大な密教の曼陀羅の世界観を体感し、空海の事績も再認識して頂きたいと思います。

☆☆アートアジェンダFEATURE 内覧会・記者発表レポートに『空前絶後のスケールで体感する空海の足跡と密教世界 生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」が、奈良国立博物館にて2024年6月9日(日)まで開催』が展示室の臨場感あふれる画像と共にアップされましたので、まだお読みでない方は是非そちらもお読みください。4/27

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