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開館1周年記念特別展 大阪の日本画

開館1周年記念特別展 大阪の日本画

大阪中之島美術館|大阪府

開催期間:

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開館1周年記念特別展「大阪の日本画」@大阪中之島美術館 古き良き大阪、大阪モダニズム

私の今年前半の楽しみは
1.大阪の日本画@大阪中之島美術館
2.甲斐庄楠音展@京都国立近代美術館
3.絵金展@あべのハルカス美術館
です。
混まないうちにと「大阪の日本画」行ってきました。
大坂中之島美術館もオープンして1周年となります。展覧会は、平日とは言え意外にも空いておりまして、じっくり観てきました。 ほぼ3時間。
本展覧会は5章構成になっています。
第1章 ひとを描くー北野恒富とその門下
第2章 文化を描くー菅楯彦、生田花朝
第3章 新たなる山水を描くー矢野橋村と新南画
第4章 文人画ー街に息づく中国趣味
第5章 船場派ー商家の床の間を飾る画

何種類もの素敵なチラシがありましたが、メインヴィジュアルは北野恒富の「宝恵籠」です。 2017年にあべのハルカス美術館で開催された「北野恒富」展を観てからすっかり北野恒富ファンになりました。
《道行》でも有名な恒富さんで、「画壇の悪魔派」とも呼ばれていました。「あやしい絵」展や「コレクター福富太郎の眼」(いかにも福富太郎さんが好みそうな画題で作品です。)ではキャッチーな作品として展示されていました。 しかしながら、あの頃の大阪に住んで大阪画壇、「大阪モダニズム」を牽引しながら描いた女性像はホンマに「はんなり」という言葉がぴったりのように思います。「美をつくし―大阪市立美術館コレクション」@サントリー美で恒富の《宵宮の雨》や《星(夕空)》をご覧になった方はアレッこんな作品もあるのかとの感想をお持ちになった方もあるかもしれません。 東京でも京都でもない大阪の良さが出ているような。「はんなり」という言葉は、京都ではなく古き良き上方、大阪に相応しい言葉なのではないか?
私たちが持っている大阪のイメージって、メディアの露出が多い吉本芸人さんが持ち込んだものなのかも?
恒富さんも鏑木清方さんも「美人画家」と称されることにはご自身は納得しがたかったとは思いますが、やはり圧倒的に女性像を多く描いています。 北野恒富は、当時「東の 鏑木清方、西の上村松園」と並び称される明治から昭和にかけて活躍した大阪を代表する”女性を描いた画家”でした。 悪魔派と呼ばれた頃は、デカダンな大正時代をも反映していたのでしょう。 もうすぐ京国近美で始まる「甲斐庄楠音」なんかもそうでしょう。
もうきゅーとなるほど可愛らしい《宝恵籠》、ものすごく間近で観る事が出来、襟の梅の刺繍? 模様や着物の柄もじっくり観てきました。赤と黒の2本の絞りの帯を締めています。恒富作品には他にもお気に入りの作品があり、北野恒富展の図録を引っ張り出して眺めているとふぁ~と時間が過ぎていってしまいます。見直してみると恒富展は今回の展覧会と重なるところが多かったです。
当時の大阪では、商家の子供や女性たちが絵も習っていたそうです。恒富は男女の差なく教えたという話も伝わります。女性画家を多く輩出し、活躍したのも大阪画壇の特徴とも言えます。
東京の池田焦園、京都の上村松園と並んで「三都三園」と称される島成園は大阪を代表する女性画家です。上掲図録によれば、島成園は「(恒富が主宰する画塾)「白耀社」展にも出品し、恒富に学んだともいわれていたが、門下というよりは活動を共にした絵描き仲間であったと考えられている」とありました。《祭のよそおい》に描かれた幼い子ども、片方が脱げた草履や、足が着かずにバタバタさせている可愛いらしい子どもたちの情景に、髪形や着ている着物に彼女たちの社会背景、貧富の差も映し出していました。そう言えば大阪市美が休館に入る直前の「華風到来 チャイニーズアートセレクション」展メインヴィジュアル《上海娘》、あのポスターに惹かれて出かけたのでした。あれも島成園筆でした。
恒富門下の女性画家で画号に「乃」のつく星加雪乃、別役月乃、四夷星乃、橋本花乃は「雪月花星」と謳われたそうで、まるで宝塚の組名のよう。恒富門下を中心に女性画家13人は「日向会」を結成します。これら大阪で活躍した女性画家については改めて展覧会があるらしいので、楽しみにしておきましょう。

恒富門下でもう一人あげておきたいのが中村貞以(なかむら・ていい)です。幼い時に手におった火傷のために、指が使えずに手に筆を挟んで描いたそう。作品からは当然のことながらそんな事は微塵も感じません。「女性像に情緒や調和を求めず、色や形、質感に独特の感覚を発揮する作風」と上掲書に説明されていました。彼の妻となり彼を支えたのが高橋成薇です。大正期には『週刊朝日』の挿絵をも手掛けたが、貞以と結婚して長女を主産して後は絵を描かなったそうで、それを師の成園が残念がったと解説にありました。モダンな女性を描いた《秋立つ》、確かに素敵な作品で、もっと描いてほしかったです。

第3,4章の大阪の南画と文人画は、昨年春に京国近美で開催されていた「サロン!雅と俗-京の大家と知られざる大坂画壇」を思い出しました。 とにかく展示件数が多かった記憶しかないあの展覧会ですけど、大阪画壇や文人画の系譜がお好きな方は昨年のベストに入れられていました。 若冲や大雅の時代に木村蒹葭堂のもとに多くの人が集まったように、文人サロンに多くの人が集まり、文人と称する人たち特有の雰囲気や来る人拒まずの気風もあったのではないでしょうか。 「文房四宝」という言葉もあるように住友家15代春翠さんなども文房具の蒐集やお煎茶などの中国趣味は「茶の湯」よりも先にあったようで、中国趣味や文人画の世界は町人文化とも結びつき、大阪の文化人や旦那衆もひっくるめてサロンを形成して、独自の発展を遂げつつ、集まっては「あーだ、こーだ」と語るも楽しの時間を過ごされていたのではないでしょうかしら。

四条派の流れをくむ「船場派」(初めて知りました。)幕末・明治期に活躍した西山芳園・西山完瑛によって確立された西山派の系譜と明治期に深田直城により普及した系譜の2つの系譜があり、その作風は「京都の四条派とは異なり、あっさりとスマートに描く大阪らしい作風」で、広く市民に受け入れられ、人気を博しました。
東洋のマンチェスターと呼ばれて栄えた大大阪時代の旦那衆が大阪の文化を支え、文化をサポートしています 。
“船場派” は、商家の床の間を飾る「床の間」芸術。 大阪の画家たちには、野村さんや住友さん、鴻池さんなど大阪の財界人がスポンサーとなって絵を描かせたために、敢えて公募展に応募して評価を受ける必要性がなかったとありました。 故に名はそれほど知られていないが良い絵を描く画家は少なくない。
「船場派」 吉兆の名付け親で銘酒「呉春」の商標の牡丹を描いた須磨対水。 この後伺ったギャラリーさんの床の間にお軸が掛けてありました。 京町屋を改装したこのギャラリーさん、元のお住まいへ時々お見えになっていたそうで、めっちゃへぇーってなりました。

最後に 「没後70年 北野恒富展」図録219頁からの引用
「北野恒富は戦後の女性を描くことなく、昭和22年に亡くなってしまう。そして、大阪は空襲で焦土と化し、モダンではんなりとした、情緒あふれる文化都市は壊滅する。・・・再建された大阪は、もはや戦前の『大大阪』とは異なる、新たなる都市だったのである。・・・近世から近代、そして終戦まで、大阪が優れた文化都市であったことを顕彰しておきたいと、改めて考えているのである。」(あべのハルカス美術館主任研究員 北川博子)

写真撮影okも展示会場の最後にまとめられており、展示室の途中で写真を撮る人に気を遣ったり、シャッター音が気になったりすることがなかったので、この形式いいなぁと思いました。日本画ということもあり、展示作品の7割が展示替えとなるそうで、1回目のチケットをインフォメーションに持っていくと200円引きで2回目のチケットが購入できます。インフォメーションに伺うと、インフォメーションでもメンバーシップに入会できるようになったそうで、2回目の際に念願かなって入会することにします。

春から東京ステーションギャラリーへ巡回します。東京方面の方お楽しみに!

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シンディさん、黒豆さん、さいさん、micco3216さん、uchikoさん

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