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戦後の激動の時代、世代にあって「静逸で淡々とした作品」
没後 40 年、赤々舎から『牛腸茂雄全集』が刊行され、Twitterや私が見ているアートのサイトでもこの難読漢字の写真家の名前を今年は何度も眼し、久々に伊丹の美術館にも行きたいしと出かけてきました。昨年秋日美でも紹介されました。
3歳で胸椎カリエスを患い、自分の運命を受け入れ、折り合いをつけながら36年という短い生涯を終えた写真家でした。
自分で自立できるようにと早くから先を見据え、商業高校へ進学し、在校中に資格も取っています。グラフィックデザイナーを目指して上京します。桑沢デザイン研究所で写真家大辻清司と出会い、大辻は「もしこれを育てないで放って置くならば、教師の犯罪である、とさえ思った」と、牛腸の才能を見出した大辻の説得により、牛腸は写真の道を歩むこととなったのです。
ドカーンと大きな衝撃が走るような写真ではなく、解説にあるが如く「静逸で淡々とした作品」でした。日々を、時代の片鱗を記するような。20歳までも生きられないかもと言われていたそうで、覚悟を持って日々を送っていたであろう牛腸茂雄の淡々とした自分が生きた証の様な作品でした。
牛腸のスケジュール帳は、細かな字でびっしりスケジュールがびっしり書かれており牛腸の几帳面な性格が出ています。3歳上の姉宛ての手紙も展示され、姉に宛てて書きながら、自分の中で自分の考えをまとめ今の自分を確認していたのではないでしょうか。
師、大辻に薦められて始めた写真ですが、やはりそこは機材も重たいし、撮影の移動もあるしで、体力的にもそれはそれはきつかったのではないでしょうか。彼ならデザイナーとしても成功していたような気もしましたし、それならもっと長生きできたかもしれないとも勝手に思いました。
戦後すぐの生まれで、団塊の世代の先頭に立った世代です。劇的に変わりゆく日本を眺めながら。
伊丹は工藝(クラフト)を支援し、作家さんの発表の場を作っていますし、手ごろな価格帯でそれらの作品をかつての造り酒屋を利用したショップで買うこともできます。
造り酒屋の街「伊丹市」ですが、工藝(クラフト)を支援している街でもあることももっとPRして良いと思います。