4.0
グロテスクだけれど、見逃せない
迷路のような展示空間。立ち塞がるカーテンの壁に浮かんでいるかのような森村泰昌秘蔵のインスタント写真の数々は、森村自身が生き、創作してきた以上の時間性を獲得しているように思えた。
森村がどれほど多様な衣装に身を包み、メイクを施し、ポーズをとってきたのか。歴史も性別も綯交ぜにしたポートレイトは、彼がいかに自身以外の人間の姿と時間を創り集めてきたかを明瞭に示してくれる。展示作品は小品ではあるが、それが逆に昆虫標本か何かのように、美しくも妖しい、グロテスクな生/性の気配を一層湛えているようで、どこか落ち着かない。しかしそのグロテスクさこそが魅惑的でならない。きっとそれは鑑賞者にとっても、森村自身にとってもそうなのだろう。
写真は瞬間の記録でしかないが、その瞬間にこそ多大な可能性が開かれる芸術だ。さまざまな容姿をした森村泰昌は自らを写真の中に閉じ込めることで、自己の複数性への欲望を満たそうとしているようで興味深かった。誰かそのものになりたいというより、そういった複数的な自己を撮り逃すまい、見逃すまいという気概すら感じられた。そしてそれを見ている私も、迷宮的展示空間の中でひとつたりとも森村が創り集めた生/性を見逃すまいとして長い時間を過ごしてしまった。