京都市京セラ美術館開館1周年記念展「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」
京都市京セラ美術館|京都府
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展覧会の意味はメインタイトルにあり
ギャラリートークに参加にしました。ギャラリートークは16:30からでそれまでに展覧会の内容を頭にいれて置きたく先に展覧会を観終え、なんだかもやもやとスッキリしない気分でした。それは私が知る?期待する森村泰昌の展覧会でなかったからかもしれません。絵画の中の人物や歴史上の人物や女優などに成り切って写真に収まった作品が並ぶ展覧会ではでなったからなのかもしれません。
すぐ入れるということでまずは朗読劇「声の劇場」へ、円形劇場のようにっており、お香が立ち込め、何役も担う森村さんの声がサラウンド効果で聴こえ、照明効果もあってクラクラとしてきそうでした。コロナ禍もあって私はフェイスシールドを持参しました。(学芸員さんにお尋ねすると空調もしっかりしているし、定員人数もちゃんと計算しての上でのことらしいので、ご安心くださいとのことでした(゜_゜) こちらでほぼ30分かかります。森村さんが撮りためたポライド写真「M式写真回廊」を彷徨うなかで、1時間ほどの映像作品「夢と記憶の広場」で成り代わっていく森村さんを見たり、映像にも出てくる森村さんが着用した靴や衣装が展示された「衣装の隠れ家」を覗いたり、まさにそこは展覧会のタイトル通り「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」、ラビリンスと渦の中でした。
京近美の「青木繁展」で見た映像作品《海の幸・戦場の頂上の旗》で不覚にも涙しそうになり、2016年の国際美での『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし』が出会うとき』では面白すぎると思って私が気になりだした頃には、芸術家森村泰昌はドンドンメジャーへの階段を上って行かれました。みんなが期待する?思い浮かぶ森村泰昌芸術は、何者かに扮する森村ではなかったでしょうか。
しかしながら70も越えて(全然昔と変わっていらっしゃらないとお見受けしますが)、コロナ禍もあって森村自身これまでのような活動は出来ず自分と向き合う時間も多かったこともあったかもしれない。
そしてこの展覧会は森村泰昌が自分と向き合う、自分探しの展覧会なのではないでしょうか。
そして私たちにも問うてきているのかもしれません。森村さんは、作品に仕上げていくとき何度も何度も鏡の中の、繰り返し撮る写真の中でも自分と向き合っているのです。なりきる対象に向き合っているようで、自分とも向き合ってきた歴史なのでは?そしてそれは2016年の国際美のタイトル『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし』が出会うとき』にもすでにあったことなのだと気が付きました。
展示室に特別にしつらえたカーテンの襞は、私のあなたの心の襞でもあり、特注のカーブした椅子もここに腰かけて撮られた写真と向き合う場でもあるのかもしれなと勝手に穿って考えてみると仕掛けがいっぱいありそうです。どれが正解でなにが間違っているのは分からないけれど、もやもやなスッキリしない気持ちを持ち帰えるのもひょっとして正解だったのかもしれません。
私には、担当学芸員さんのギャラリートークはとても良かったです。
30分ですが、質問があれば参加している方々と共有して考えてくださるるし、丁寧に回答もしてくださり、ありがたかったです。
森村さん、全然年を取っていないんです。飾られている衣装たちは、森村さんが着ている方がずっと生き生きしてましたわぁ。
あとあとも引きずってしまいそうな展覧会でした。
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