夏の特集展示 「戦争の時代の藤田嗣治 1936-1945年」
軽井沢安東美術館|長野県
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レオナールではない『従軍画家』藤田嗣治
藤田嗣治=レオナール・フジタと聞いて思い浮かぶ絵は透き通るような乳白色の女たち。
そしてニャンコと少女。
洒脱でどこか軽妙で、でも日本画の涼やかな筆遣いを感じる不思議な魅力が思い浮かびます。
『エコール・ド・パリ(=20世紀前半にパリで活動した外国籍のアーティスト集団)』の中核を担ったフジタ。
猫を抱っこしたおかっぱヘア+丸眼鏡の写真は独創性と自由を尊ぶパリジャンのオーラ全開。
避暑地軽井沢に昨年オープンしたばかりの軽井沢安東美術館は藤田嗣治の作品だけを展示する個人美術館です。
なので、どこもかしこも藤田作品。しかし今回の企画展「戦争の時代の藤田嗣治 1936-1945年」は、そんな猫を愛し戯れるフレンチ画家とは本当にまるで違う、現実の戦争という過酷で狂乱の時間の真っ只中、現場を伝える『従軍画家』藤田嗣治でした。
人には二面性があると言いますが、この戦時の藤田と、私の知るフランス人フジタの落差が凄すぎます。
なんというか、ジブリの絵を描いてる人と思っていたら、実はゴ◎ゴ13の青年誌作者でしたというくらい(微妙な例え)。。。表現が難しいと思わず唸ってしまいます。
鬱金色の壁に囲まれた企画展コーナーには世界大戦の動乱期、藤田が描いた作品と手記が展示されていましたが、点数も予想より多かったですし、内容が充実でした。
そんな中でも特に強烈印象作品を独断ピックします。
《勇敢なる神風特攻隊》1944年頃
一番象徴的な作品でした。
100号(162cm×130㎝)のポスター原画で初公開作品、大きいです。
1944(昭和19)年は太平洋戦争の末期になりますので、以前橋本関雪でも触れたプロパガンダがやたら叫ばれ始めた頃に相当します。
画面には大きく零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のパイロットと思しき兵士が正面を向き誇らしげな表情を浮かべ、右側に「日本に一億の特攻隊あり」との文言。
左下にはしっかり『藤田嗣治』との署名があって、正真正銘彼の作品だと分かります。
自爆テロと同じ攻撃手段である”特攻”を勇敢と表現した作品タイトル。兵士の力強い表情、”一億の特攻隊~”という、誇張表現な陸軍プロパガンダの文章。
戦後70年以上経つ令和に生きる身としては、「フジタがこんな軍国ポスター作ったなんて…」と理解できない事に対峙した時のモヤモヤした気持ちが湧いてきます。
しかしポスターとしては爽やかで力強くてアピールに優れた作品だとも思いました。
描いた藤田も、モデルになった兵士も真摯に取り組んだ結果なのでしょう。その真摯さが恐くなります。
《武漢三鎮陥落の日》1938年頃
太平洋戦争より前の日中戦争で、日本が中国の武漢を攻撃して陥落させた日を描いた作品。
墨一色のモノクロ画面中央に戦艦が浮かび、河(?)むこうの武漢市街からはいくつもの黒煙が上がっています。
スケッチのような軽いタッチの小作品(30cm程)ですが、画面には人物が一切描かれておらず戦艦と街のみ。
白黒で陰影のみのせいか、戦争を描いているのにフィクションというか、ひとつの風景画のようで淡々とした印象です。
《絵葉書「大空に花と咲く挺身落下傘部隊の活躍(パレンバン)》1942年2月
まさかの大量流通品である絵葉書です。
パレンバン=現インドネシアのスマトラ島南部都市を日本の陸軍落下傘部隊が奇襲する侵攻作戦の情景。
右上の小さな真っ黒の機影から、タイトル通りの真っ白で丸い落下傘(パラシュート)が次々と吐き出されて藍色の空に浮かび、手前では地上に降り立った兵士が銃器を構えて銃撃戦に入っています。
臨場感が凄いです。無人だった《武漢陥落~》とは反対に兵士の活躍を詳細に描く本作品は、ハリウッドの歴史戦争映画のワンシーンを切り取ったかのよう。
多分当時は相当人気の絵葉書だったのではないかと思います。
上記の作品群から思うのは、彼が従軍画家として、国家の意向を実行する軍部の活動を真摯に支えていた事。
異国を侵攻する軍の善悪ではなく、命を懸けて命令を実行する兵士達の力強い姿を描いて鼓舞して、戦争に突き進む国の要請に応え続けました。
もともと藤田は父親が軍医、義姉が陸軍将官のお身内だったりと軍部に対しての親和性が比較的高かったのでしょう。展示されている手記にも慣れない異国で疲れた中、絵のモデルになってくれた兵士への感謝と親愛が伝わるコメントが残されています。
しかし1945年に終戦を迎えます。
戦後日本軍が糾弾されたように、美術界でも戦争協力者という烙印が従軍画家に押されて世間の誹謗中傷に藤田はさらされます。
「日本美術会」は戦争責任者として藤田の名前を挙げました。
国の意向に従い、真摯に取り組んだことを全て否定された彼の失望は想像以上だったんだろうと思います。
終戦の4年後に渡仏した藤田は、二度と日本に戻らずフランスに帰化し、レオナール:フジタになりました。
フジタは「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っていたそうです。
展示を見ていれば、手のひらを返した国家への離反はさもありなん。
フランス人として生きるフジタにはウチワを振って応援したいです。
フランスに帰化し、カトリックに改宗したフジタはその後お馴染みの可憐な少女像や猫、聖母子像の宗教画など、愛らしくも美しい作品を描きます。
静謐で慈愛を感じさせる聖母子や、自由全開に寛ぐニャンコ達を改めて眺め、フジタがようやく心の平安を得たんじゃないかなと勝手な想像で安堵します。
今回衝撃的なお目見えになった戦時の芸術。負の記憶に附随するにしても、もう少し見せる機会を増やせればよいのにと思います。藤田作以外にも戦時中に生まれた作品は多くあったはずですが、知名度はいまいち・・・あまり見かけません。私が知らないだけかもしれませんが。
あえて当時を喧伝したくないという世相というか、、、今で言うなら日本の【忖度】なのか。
色々考えさせられる企画展でした。
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