アブソリュート・チェアーズ
埼玉県立近代美術館|埼玉県
開催期間: ~
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「椅子の美術館」がアートとしての「椅子」を通して多様な文化や社会背景も伝える
こちらの美術館には、5・6年以上は前になると思いますが、一度だけ何かの企画展を観に来たことがありました。その時は駅前にもかかわらず、地元の子供たちが遊び、お年寄りも憩う、緑いっぱいの公園の中にあり、現代的で斬新でおしゃれなデザインの建物で、建築家はさぞかしと、思えばあの黒川紀章氏だとか、なるほどと、とても良い印象でした。その時は時間がなく、事前の調査もしていなかったため、目当ての企画展のみを観てすぐに帰ってしまいました。日頃、埼玉方面に足を向けることが全くないため、以前住んでいた横浜方面の美術館よりずっと近いのに、全く行かずに過ごし、基本、現代アートが苦手な私は、美術館のHPなどもリサーチ対象にも挙げていなかったので、これまでどんな美術館なのかすら知らずにいました。今回たまたま二か月ほど前の日本橋高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展 」を観て来て、他に何かと「椅子」「展覧会」で検索をかけてみて、こちらの展覧会を知りました。椅子好きの私です。こちらの美術館が「椅子の美術館」と呼ばれていることを初めて知りました。開館当初からデザイン椅子の名品を含め、色々な個性的な椅子を展示していて、中には実際に座ることの出来るものも多くあるとのこと。そんな「椅子の美術館」が、今回、近現代の美術作品における椅子の表現に着目し、新たな視点から『椅子』と言うテーマに、その「アブソリュート(絶対的)」な魅力に挑む「アブソリュート・チェアーズ」なる展覧会が催されるとのこと。「椅子」と言っても現代アートではちょっと、とは思いましたが、この企画展に加え、コレクション展の方も「チェアーズ ―椅子の美術館」と言うタイトルの様でした。よって今更かも知れませんがこの機会に、「椅子の美術館」なるところに是非行かねば、と思ってしまった次第です。
建物中央には、地階から3階までを貫く吹き抜けがあり、ガラスの屋根から入る自然光が素敵です。そこに無数のパイプ椅子の集合体が脚を外にして、まるで海中を漂う雲丹の様に浮いていました。一緒になって椅子たちの強い拒絶が感じられます。一階から見えていますが、これは地階の企画展の展示でした。周囲の通路には、長いモスラのようなDSチーム《DS60, 600》、CRマッキントッシュの《アーガイル》、笠松栄の折り紙の様な《ツル-B》、などなど、様々なデザイン椅子が置かれていて、実際に座ることが出来ました。美術館の利用者は作品プレートなどほとんど気にせずに、休憩したり展覧会資料を広げてみたりしていました。他にもあちらこちらの小スペースに、色々なデザイン椅子が展示されていました。
僅か¥200で入れるコレクション展の方にも、ジョージ・ネルソンの《マシュマロ・ソファ》、倉俣史朗の《ミス ブランチ》、チャールズ・レニー・マッキントッシュ《ヒルハウス1/ヒルハウスのベッドルームのためのハイバック・チェア》、アルヴァ・アアルトの《パイミオ/アームチェア41》、渡邊力の《リキベンチ》他、色々なアーティスティックで魅力的な椅子たちが展示されていました。中には、こちらでも実際に座れるものもありました。とてもとても楽しい展示でした。更に椅子以外の絵画等の作品でも、なかなか楽しめました。とりわけ丸沼芸術の森から寄託されたゴッホの初期の水彩画《草地、背景に新しい教会とヤコブ教会》がたまたま展示されていました。水彩画は特に展示期間の制限があるので、これに出会えたのは超ラッキーでした。
さて、本題の企画展「アブソリュート・チェアーズ」は、私にはやはり難解でした。椅子好きな私も、色々考えてしまい、椅子を避けたくなってしまう、そんな展覧会でした。第1章の「美術館の座れない椅子」はマルセル・デュシャンの作品《自転車の車輪》で始まりました。この章は、椅子=座るもの、という常識を覆しながら、観る側の感性にグイグイ問いかけてくる感じで、ウンなるほど、とそこそこ楽しめました。第2章「身体をなぞる椅子」崩れゆく身体を支えるものとして椅子。第3章「権力を可視化する椅子」アンディ・ウォーホルのシルクスクリーン連作「電気椅子」をはじめ、死や暴力、強いられる規範に対し椅子が象徴的に登場する作品が並びます。渡辺眸の東大全共闘バリケードは、幼い頃の記憶と樺美知子を出現させます。カニャヴァート(ケスター)《肘掛け椅子》は「銃を鋤に」プロジェクト。ミロスワフ・バウカの《φ51x4, 85x43x49》は拷問用具に、鉄輪が白い塩に埋もれていました。だんだん椅子は避けい存在になります。第4章「物語る椅子」では、YU Sora《my room》は白布に黒糸で刺繍した作品群。ここでも椅子は座るためのものではない様です。ガラリと変わって広めの一室にゆったりと3作品が配置されています。気化するナフタリンを使い歴史と記憶を表現する宮永愛子の《waiting for awakening -chair-》、触れることのできない白い椅子は禁欲的な美しさ、と言うモノなのでしょうか…まるで深海に住む椅子の亡霊??息をのみます。無数の透明な球体で表面が覆われた「PixCell」シリーズで知られる名和晃平の作品。ハンス・オプ・デ・ビークの《眠る少女》は、ソファに横たわり、まどろみ続ける少女が、灰色一色に塗り込められ、時間が静止したような感覚をもたらす、と言いますが、かなり怖いです。映像作品も、この感覚を払拭出来るものではありません。そして第5章「関係をつくる椅子」では椅子が結ぶ関係性に焦点を当ているというのですが…、友好関係に役立つ椅子のはずですが、一定の人間を排除するかたちに作られることもあるシーンが表現されています。檜皮一彦の《walkingpractice/CODE:Evacuation_drills》シリーズ、オノ・ヨーコの《白いチェス・セット/信頼して駒を進めよ》、やダイアナ・ラヒムやスッティー・クッナーウィチャーヤノンのインスタレーションにも《ステレオタイプなタイ》にも、そして最後に、1階から見たミシェル・ドゥ・ブロワンの《樹状細胞》も、関係をつくる=排除する椅子、が強く感じられました。
愛すべき椅子はアートになると、色々考えさせられ、少し距離を置きたい気分になります。それでもここにいる椅子たちのためにも、せめて日常を共にする椅子たちを、その素晴らしさを評し、愛でていきたいと思います。拒絶されないように…。「椅子の美術館」がアートとしての「椅子」を通して、多様な文化や社会背景も伝え、様々に問題提起もある、結構ヘビーで観ごたえのある展覧会でした。
美術館は企画展コレクション展ともに、空いていてゆっくり観て回ることが出来ました。企画展は12日㈰に終了してしまいました。いつもながら感想が遅くて申し訳ありません。
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