京都市美術館開館90周年記念展 竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー
京都市京セラ美術館|京都府
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省筆と色面で一瞬を写し撮る
京都市美術館開館90周年記念で選ばれた画家は、竹内栖鳳と村上隆です。
竹内栖鳳展ってわりと最近京市美でやっていたような記憶がありました。東京近美からの巡回で京都市美で竹内栖鳳展を開催したのは2013年でもう10年も前になるのですね。学芸員をしている友人から栖鳳展とても良かったと感想を聞いたのでしたが、当時の私自身は一挙に「竹内栖鳳」を観てもっと感動するかと思っていたのですが、その時はあまりピンとこなかった思いがあります。何故でしょう。竹内栖鳳として思い浮かぶのは『班猫』とライオンとローマの遺跡?
栖鳳の何がそんなに革新的なのかが分からない。
京セラ美のフレンドシップ会員向け担当学芸員による解説会に参加してきました。
旧習を脱却した新しい日本画表現って何なんだろう
幸野楳嶺の私塾へ入門した当初から画力はずば抜けていたそうで、すぐに画塾のまとめ役に任じられています。雪舟の「山水長巻」や芸阿弥や相阿弥の模写も展示され、古画を写し、筆遣いなども学び、研究熱心であったのでしょう。栖鳳は「写生」に重きを置いたとありますが、「写生」って応挙以来円山派、京都画壇はそうなんじゃーないん?と思っていました。ところが、四条円山派として伝えられていくうちに、狩野派と一緒、「四条円山派」としてその模本をそのまま写す事に陥ってしまっていたんですね。そこに栖鳳としては忸怩たるものがあったようです。受け継がれてきたものをそのままに描くだけ、明治を迎えても京都画壇には個性がない、新しさがない、斬新さがないと感じたのでしょうか。
本展を観て栖鳳の描く絵には、毛描きは1本1本細かく緻密に引かれて表現されていますが、輪郭線がない、(応挙や宗達も輪郭線のない動物は描いていますが)日本画の生命線である線で表現するのではなく、色面で描いているような印象でした。筆数を省く「省筆」と色面で表現している。確かに新しい。鳥の羽毛のほわほわした感じや、写真のブレている様な表現はその一瞬を捉えて写し撮っているのでした。それは重要文化財《絵になる最初》も、モデルを描くというよりも、モデルとして立つ前の一瞬の恥じらいを捉えています。
栖鳳の画家人生の半ばごろからは、文展が始まり、会場芸術、文展や帝展へ出す作品が大きなウェイトを占めるようになります。それならば文展や帝展らしく?受賞作におもねった画題を選ぶのではなく、毎年違うテイストの画題を描いていることも興味深い。料亭の息子らしく活きの良い鯖を描いた作品などもあり、それらの作品は賛否両論があったそうです。
第1回文化勲章受章者でもある二人、「東の大観、西の栖鳳」と称されますが、栖鳳は画塾も開き、京都の絵画専門学校でも教えて多くの後進を育てました。そして受賞を辞退することも度々。生き方も対照的だったかもしれません。栖鳳は戦時中に亡くなっています。
それにしても京には「花鳥画」という伝統もあり、応挙、若冲、芦雪・・・栖鳳、櫻谷、関雪、印象と京都の画家は動物を描くのが上手い!
栖鳳展を踏まえて、お向かいの京国近美の「京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」を見直して観てみると、先輩、先生に当たる人に栖鳳の様な考えの人があってこそ、麦僊や竹喬、など国画創作協会の面々が自由に描けたのではないかと思えてくるのです。
それにしても麦僊が推す岡本神草「口紅」、華岳が推す甲斐庄楠音「横笛」、栖鳳は何故金田和郎「水蜜桃」で決着をつけたのでしょう。後期には金田和郎 の濃密な「牡丹図」が出ています。
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- BY morinousagisan