
幕末土佐の天才絵師 絵金
あべのハルカス美術館|大阪府
開催期間: ~
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半世紀ぶりの高知県外での展覧会です。凝った演出の高知の夏祭り再現展示も見応えあり。
今年前半の観たい展覧会がどれも期待以上の良い展覧会で正直驚いている。
「絵金」最初に知ったのは「見世物大博覧会」@みんぱく でだったろうか。
「あやしい絵」展でも観たのかと思っていたところ、2020年の「奇才-江戸絵画の冒険者たち」@あべのハルカス美で屏風が出ていたそう、奇想の系譜にも入れそうな「奇才」で括られた絵金の芝居絵屏風が展覧会を締めくくっていたのでした。
高知県外での展覧会はなんと半世紀ぶりとのことで、巡回なく、あべのハルカス美術館単館開催、図録もオリジナルだそうです。
この展覧会に先立って小説 木下 昌輝著『絵金、闇を塗る』も読んでみました。少々気持ち悪い内容でしたが、幕末ということで大河ドラマ『龍馬伝』と交錯しました。
幕末の土佐、はりまや橋の近く、髪結いの子として生まれた絵金は、幼い頃から絵が上手で、近くの南画家や土佐藩御用絵師に学び、やがて藩主息女の出府の駕籠かきとして上京したそうです。江戸では土佐藩御用絵師の駿河台狩野派系の前村洞和に師事します。この洞和は、河鍋暁斎の師でもあり、暁斎と絵金は同門、なんだか画力は確かな二人です。3年して郷里へ戻り、土佐藩家老・桐間家の御用絵師となり、藩医であった林姓を買い取り林洞意を名乗ったそうです。後にも絵金は町医者の姓を買い取っており、何故医者の姓だったのか?姓は容易く買い取れた時代だったのですね。髪結いの子はたいそう出世したのです。しかしながら、33歳の頃狩野探幽の模写を描いたことから贋作事件に巻き込まれ、御用絵師の職も林の姓も剥奪されて、城下を追放されたようですが、不思議と藩の記録には残っていない。(この辺は上記小説が詳しい)
中年以降はどこでどうしていたのか資料が全く見つかっていない。しかし絵金は大勢の弟子を育て、自分では「絵金」と名乗ったわけではないが、「絵金さん」と呼ばれ、次第に「エキンさん」は絵師を意味することとなるほどに、町絵師として活躍しています。
展覧会は、3章構成です。
絵金の基準作にして、傑作の二曲一双屛風21点が前後期に展示されます。
絵金の芝居絵といえば、血しぶきが飛び、切られた腕やら足が転がっているイメージ、そうです「血赤」と呼ばれる辰砂の赤が効果的に使われています。
また、芝居のどの場面をピックアップして描くかも絵師の腕にかかっており、様々な場面も描き込まれ、ストーリー自体を二曲一双の屏風の中に詰め込んでいます。これは「異時同図法」と呼ばれるものです。
第2章は、高知の夏祭りの再現展示となっており、写真も動画も撮影okでした。
芝居絵屏風は、山門型や拝殿型の絵馬台に嵌め込まれ、両脇には絵馬提灯が並びます。山門型の絵馬台には表裏に屏風が嵌められて、往きと帰りに違う屏風を見上げるようになっています。提灯の火で見てこその芝居絵屏風、血赤で染まった凄惨な場面が提灯の明かりに浮かび上がります。
手長足長という異形の柱状のものが支える絵馬台は凝った作りになっていて、有名な宮大工作ったものだそうです。
絵馬台をくぐり、サイドの絵馬提灯で物語を辿りながら参詣する気分でした。絵馬提灯は本来毎年新調されるもので、現存しているのはとても少ない。
展示の絵馬提灯は「仮名手本忠臣蔵」を元にしたものと石川五右衛門のお話で内容も面白い。
絵金は、芝居屏風絵だけでなく、狩野派風の掛軸や絵馬、年中風俗絵巻、初節句の祝いの幡や幟、更には安政期に起こった大地震の記録画も残していました。
音声ガイドのナビゲーターは歌舞伎役者の中村七之助さんで、良いお声で歌舞伎の場面の解説が聴け分かり易くてこちらもお薦めです。
兎に角見応えがあって、楽しめる展覧会でした。後期は、隠し落款も捜しに出かけたい。
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- BY morinousagisan