
神戸市立博物館開館40周年記念特別展 よみがえる川崎美術館 ―川崎正蔵が守り伝えた美への招待―
神戸市立博物館|兵庫県
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収集五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり
明治の初め、日本の美術品名品が国外流出するのを食い止めるべくコレクションを始めたという、神戸の実業家で大富豪の川崎正蔵。
今の新神戸駅の場所に大邸宅と美術館まで作ってしまい、我が世の春を謳歌した。
しかし、昭和2年の金融恐慌でコレクションは売却され、太平洋戦争の空襲で美術館も邸宅も消え去った。
その日本初の私設美術館だという川崎美術館が所有していたコレクションをおよそ100年ぶりに集結させてお披露目するという企画展が神戸市立博物館で開催中だ。
始まって最初の会期に訪問した。(会期は細かく分けて全6期。詳細はHPで展示リストを参照されたし。)
平日朝9時、三宮駅から歩いて博物館へ。9時半の開館時間前にすでに十人ぐらいが並んでた。
入館しチケット買って3階の第一会場へ入ると、まずは美術館開設の経緯や、どんな所蔵品があったのかを記した目録等があって、いよいよ「まぼろしの」コレクションを拝見だ。
続々と登場する川崎正蔵コレクション、第一会場には絵画が多い。
重文では《孔雀明王像》と《放牛図》が出展。文化庁所蔵の前者は、東博に展示中の国宝よりは地味ながら平安期の仏画として印象に残った。
後者は京博から。こういう名品が国の所蔵になってるのを知って安堵する。
桃山期の重美《桜下蹴鞠図屏風》は根津美、肉筆浮世絵の秀作二点、鳥文斎栄之《円窓九美人図》がMOA美、西川祐信《納涼美人図》が出光美と、国内有数の私立美術館にも川崎コレクションは受け継がれてる。
木彫の傑作、康円《広目天眷属像》は静嘉堂、工芸では《沃懸地高蒔絵桐竹文硯箱》が逸翁と、やはり名品は所有者を選ぶみたいなとこもある。
逸翁からの蕪村の対幅《闇夜漁舟図》と《雪景山水図》も必見だ。
しかし、展示品リストを眺めてると、個人蔵絵画が圧倒的に多い。この一枚は是非欲しいと国内コレクターの争奪戦があったのだろうか。
階下へ下りて第二会場へ。ここでは川崎美術館内部にSPOTが当てられる。
その決定的出品が、屋敷一階の三室を飾っていた応挙の襖絵三点だ。
上之間に《月夜浮舟図》、《江頭月夜図》、広間に《海辺老松図》、三之間に《江岸楊柳図》。
それぞれが行書、楷書、草書をイメージした画法で描かれていると解説にあり、見ればなるほどと唸らされる。
応挙作品は他にも《四季富士図》や《雪景山水図》などの大傑作もある。
襖絵は現在東博の所蔵品だが、売り手が決まって襖が大邸宅から外され持ち出される光景を想像すると、他人事ながら胸が詰まる思いがする。
会場終盤は屏風絵の名品が並ぶ。
明治35年、天皇の神戸行幸時に川崎正蔵に屏風5双を用意せよとの命が下り、揃えられたのが「名誉の屏風」。
そのうちの2双、狩野孝信《牧馬図屏風》と、伝狩野孝信《桐鳳凰図屏風》を見ることができた。もう1双の狩野探幽《桐鳳凰図屏風》は後期展示。
他には三の丸尚蔵館からの《韃靼人狩猟図屏風》が素晴らしかった。
そして展示ラストを飾るのが重文の伝顔輝《寒山拾得図》。
正蔵が最も大事にしたという作品で、寒山と拾得のユーモラスなのか不気味なのかどちらとも言える笑顔が面白い。
解説によると、日露戦争でバルチック艦隊が紀伊水道に入ってきたら、正蔵はこれを持って高野山に逃げ込むつもりだったそう。
当展に出る国宝2点、《六祖挟担図》と《宮女図》はいずれも後期展示で見れなかったが、この翌日京博の茶の湯展に行ったら後者が出ててラッキーだった。
川崎正蔵が収集に費やした期間は約50年。それが、自分の死後10年ちょいで散逸してしまうとは夢にも思わなかっただろう。
展示品の中に、コレクションの落札価格一覧表があって、なんと無残なことかと、正蔵に成り代わって絶望感に苛まれた。
昭和の大恐慌は日本の富豪や財閥コレクターたちはみんな経験しているはずだが、ここまで雲散霧消してしまった例は他にないのではないか。
川重、何やってんだ! と最初は同情より怒りのほうが強かったが、企業存続のために正蔵の後継者が断腸の思いで下した決断は間違ってはいなかったのだろう。
さらに冷静に考えてみるに、美術品収集とその維持管理という余業の世界は、短期間で成り上がった第二次産業の経営者には厳しいものなのかとしみじみ思った。
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