遥かなるイタリア 川村清雄と寺崎武男
目黒区美術館|東京都
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画壇から距離をおいて活動して、優れた作品を残した「幻の」洋画家2人。
目黒区美術館で前回見た「中世の華・黄金テンペラ画-石原靖夫の復元模写」展がとても良かったので、今回も「遥かなるイタリア」展、見に行って来ました。イタリアに留学した経験のある画家、川村清雄と寺崎武男を取り上げた2人展でした。
川村清雄氏は2012年の江戸東京博物館「維新の洋画家 川村清雄」展を見て、初めて知りました。氏は、親交のあった勝海舟の斡旋により、明治維新直後に徳川家留学生としてまずはアメリカに留学し、その後フランス経由でイタリアに渡り、ヴェネツィアの美術学校で学んだとか。そんな時代に、と驚きました。あちらの学校では賞をとるなど、とても優秀だとか。でも帰国後就いた職を、内部抗争のせいでクビになり、海舟の下で仕事と画室も与えられて生活していた時代があり、そのことなどから、氏は海舟へのとても深い謝意を持っており、代表作『形見の直垂(虫干)』を描き、生涯手元に置きつつ加筆を続けていたことなどでも、その思いが知られます。その後、日本の洋画界の振興のため、明治美術会の設立に加わり、日本美術院の面々とも親交があったようです。清雄氏は洋行により一層日本人ならではの美意識を強くしていて、有識故事に通じ、敬神尊仏の人で、和歌も嗜まれ、生活も和装が主だったとか。氏の作品の特徴は、江戸の人の持つ 伝統的な美意識を西洋起源の洋画世界に溶け込ませた、「和魂洋才」ともいえる画風にあると言われています。背景に金銀箔を用いたり、絹本や紙本、漆塗板や木地をあらわした古代杉の板など、日本の伝統的な素材を多く利用し、独特で気品あふれるものでした。しかしながら西洋の油彩画を受容し消化する途上にあって揺れ動く明治の洋画界は、日本的な洋画世界の構築を目指す清雄氏流の挑戦を理解しませんでした。氏はやがて画壇から遠ざかり、画塾で後進を育てたりしましながら、結果、一時忘れられた存在となっていきます。それが教科書に載っている、だれもが見知っている高橋由一等と違い、私たちにあまり知られていない所以なのかも知れません。また戦災などによって作品の現存数が少ないことも理由の一つかもしれません。聖徳記念絵画館「振天府」などの仕事によって、やっと知る人ぞ知る存在ではないでしょうか。海外での評価の方が高いのかも知れません。今展会場には、和の生物画や歴史画などが多く展示されていて、みな力強さと静けさとまた、氏の真面目な人となりを感じました。氏の表現した「日本」が、なんとなく私たちがすっかり忘れてしまった「日本」の様で、少し辛くも感じました。
次の展示室はもう一人の川村氏より少し後輩の寺崎武男氏です。申し訳ないことに、寺崎氏については全く存じ上げませんでした。寺崎氏もまた、中央画壇から距離を置いた活動と、戦禍で作品の現存が少ないこと、などであまり知られていない、「幻の画家」だそうです。東京美術学校を卒業後、農商務省実業講習生としてイタリアを訪れ、ベネチアを拠点に活動し、テンペラ画フレスコ画や エッチングなど、当時の日本ではあまり知られていなかった技法の習得に勤しみ、帰国後はその普及に努め、多く壁画を制作し評価され、聖徳記念絵画館『軍人勅諭下賜ノ図』も制作など、成果を上げています。またイタリアでの壁画修復活動が高く評価されているとのことでした。前回展も復元模写でしたが、最近、トーハクや泉屋博古館や藝大大学美術館やら色々なところで文化財の「修復」「復元」を扱った展示を見ています。自分もずっと昔の学生時代には博物館学芸員課程を学んでいたことなどもあり、とても興味深く見させて頂いています。ルネサンス壁画を研究した氏の作品は、画面の対角線の7倍離れた距離から見ると焦点が合い、奥行きや立体感を感じるといいます。今展会場ではあまり実践できませんでしたが(笑)。
平日昼時、空いては居ましたが、そこそこ観覧者はいらしていました。目黒ではある程度名の知れているお二人なのかもしれません。静かな空気感の中で、良い展覧会でした。日本人であることと、異文化交流と、文化財保護修復などを、色々考えさせられた展覧会だったと思います。
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