
- CLIP
- VISIT
- TICKET
アートアジェンダ - 日本全国 284 の美術館・博物館と 755 の開催中&開催予定の展覧会をご紹介中!
奈良国立博物館は、東大寺、興福寺、春日大社などに囲まれた、奈良県奈良市登大路町の奈良公園の一角に位置する国立の博物館である。
寺院・神社をはじめとした文化財所有者の協力のもと、特に仏教と関わりの深い古美術品や考古遺品などの文化財の保存・調査・研究をおこなうとともに、展示を通して仏教への信仰が生み出した優れた美術の魅力と、その背景にある豊かな歴史・文化を伝えることを目的としている。
わが国における博物館の創設は、1867年(慶応3年)にフランスのパリで開催された万国博覧会をひとつの契機として、1871年(明治4年)に文部省内に博物局が設けられ、湯島聖堂を博物館としたことで、その第一歩が踏み出された。
奈良においては、1874年(明治7年)に官民合同による奈良博覧会社が設立され、東大寺大仏殿廻廊を会場として、正倉院宝物をはじめ貴重な寺宝類が陳列された。この博覧会は1890年(明治23年)まで続けられ、明治維新後の社会の諸制度の変更によって散逸の恐れのあった多くの文化財は、この博覧会によって人々に貴重な遺産として認識されるようになった。
文化財の保存に対する関心の高まりのなかで、政府は、1888年(明治21年)に宮内省の臨時全国宝物取調局を設けて全国の文化財調査を実施した。また博物館についても1886年(明治19年)に宮内省の所管とし、ついで1889年(明治22年)、帝国博物館(東京)、帝国京都博物館とともに帝国奈良博物館の設置を決定し、1895年(明治28年)4月、帝国奈良博物館の開館が実現した。
奈良に国立の博物館を設立した趣旨は、社寺に伝わる多数の「名器・重宝」を博物館で保管し、公開してその価値を広く世間に知らせるとともに、それらの保存に協力することであった。昭和時代に入ると、各社寺からの寄託品も次第に増加し、陳列館(現在のなら仏像館)内の収蔵庫が狭くなったため、1937年(昭和12年)には収蔵庫が建築された。
当時の展示活動には、平常展示のほかに特定のテーマにもとづく特別展観(現在の春季特別展)があり、「天平文化記念品特別展」(昭和3年)、「運慶を中心とする鎌倉彫刻展」(昭和8年)、「絵巻・仏画特別展」(昭和11年)、「藤原美術展」(昭和13年)、「平家納経展」(昭和15年)など注目すべき展観がおこなわれた。
一方、奈良帝室博物館で継続的に進められてきた正倉院古裂修理の成果として「正倉院御物古裂展」(昭和7年)も開催された。
1946年(昭和21年)2月には、戦後最初の特別展観「京都御所宝物展」が開催され、同年10月には「第1回正倉院展」が開催された。交通事情や食料事情の悪いなか、22日間に約15万人という 多数の入館者を迎えることができた。
◆ 現在に至るまでの奈良国立博物館の歴史はこちらから
展示施設には、なら仏像館、青銅器館、東新館、西新館、地下回廊がある。「なら仏像館」の建物は、1894年(明治27年)に完成した、奈良で最初の西洋建築である。設計は、当時宮内省内匠寮技師であった片山東熊(かたやまとうくま・1854-1917)によるもの。玄関まわりの装飾は意匠的にすぐれ、明治中期の近代建築として貴重なものとなっている。1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定されている。
※現在の「なら仏像館」は、それまで「本館」と称していた展示室が平成22年にリニューアルし、「なら仏像館」として再オープンしたものである。
片山東熊は、本館完成の翌年には、帝国京都博物館を完成させた。その後、東京国立博物館の「表慶館(奉献美術館)」や11年の歳月を費やして完成した東京都内の「赤坂離宮(旧東宮御所)」の造営にも携わっている。
1972年には、吉村順三の設計により、新館が完成し、本館と新館は地下道で結ばれるようになった。また、このときから、本館で開催されていた「正倉院展」が新館で開催されるようになった。そして、1997年には、やはり吉村順三の基本設計による東新館が完成し、従来の新館は西新館と改称している。
この美術館にはまだ感想・評価の投稿がありません。
最初の感想・評価を投稿してみませんか?
(展覧会についての感想・評価は、各展覧会のページよりご投稿をお願いいたします。
こちらは、「美術館」自体についての感想・評価の投稿欄となります。)
感想・評価を投稿する