4.0
「集古館」という特性。
・そもそも「集古館」て何?とは思っていた。今回展示解説にこんな文章がありとても興味を惹いた。長く、しかもぶつ切りになるが下記→当時の英語の「MUSEUM」に相当する「博物館」とは、博覧会や物産会に近い意味で使われており、・・・集古館に相応しい収蔵品は、①歴史的文化財②考古資料③古典籍とし、大英博物館を範とした(!)。大倉集古館は文化財(美術品)全般から、考古資料、古典籍を所蔵し、・・・。/大正6年に「大倉美術館」が「大倉集古館」という名称になった背景は「工芸品が含まれるため」とされるが、何故「大倉博物館」としなかったかは不明である(間違いあったらすみません)。→「工芸品が含まれる」点にこちらの学芸員さん(?)が着目していたことがわかる文章で、自分も何故駒場の民藝館と似た感じがするのか(全然違うんだけどねぇ)不思議に思っていたが、今回非常に合点がいってすっきりした。
・震災で焼けちゃう前の写真を見ると余りにもすごい内容(特に仏像は!!!)なので、他の方と同様ため息ひとしきりであった・・・。
・第2章世界一と謳われた漆工コレクションは点数少ないが見どころ多し。かわゆす。
・2Fからがこの施設の個性全開かと思うが、第4章日本における最初期の陶俑蒐集は、加彩女子6躯に仏像に通じるものを感じて見入った。直衿で筒袖の衣、ショールを羽織り、結い上げた髪(ばんかんけい?)のおっとりした表情の女子たち。ほしくなる。
・第5章清朝の染織。解説に「臣下が着た吉服(マンパオなど)は西欧には多く伝わるが日本では数少ない」と。この施設らしい。
・第6章喜八郎と喜七郎、それぞれとタイの美術は、過去の展示風景によだれがでそうになる。タイのすらり系の仏像もきれいで素敵。
・企画展の説明を入口で貰えました。
・いつもありますが、地下階段横にある、曹操絡みの獅子がお気にです。