板倉鼎・須美子展
千葉市美術館|千葉県
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心揺さぶられる内容。早世した才能溢れる二人のことをもっと知って欲しい
板倉鼎(かなえ)という名前を一体どれ位の人が知っているのだろう。美術ファンでも知らない人は多いのでは?そんな画家の素晴らしき企画展。
板倉鼎は今の吉川市で生まれ幼少期を松戸市で過ごした。親が医者であったので恵まれた生活だったのだろう。千葉中学→東京美術学校と進み早くからその才能を認められてきた。24歳の時に17歳の須美子と結婚。その後ハワイに向かい更にパリへ。
初期の鼎の作品は、とても写実的に思う。松戸の古ヶ崎の景色など緑色の使い方、グラデーションでその景色を思い浮かべることができる。妹・弘子の肖像画などはとても日本的だ。パリに移ってからの作品は作風が何度も変わっており、パリ在住の画家たちと切磋琢磨していた様子が伺える。また流行りの画風に合わせたところもあったであろう。岡鹿之助と仲が良かったとのことで、その雰囲気も感じる。この展覧会を見れば鼎の絵の変遷が良くわかる。
一方妻の須美子は特に油絵の基礎を学んだことはなかったが、パリに行き油絵を描き始めてわずか数ヶ月でコンクールに出品して入賞している。構図はスーラ、色使いはルソーっぽさを感じる。個人的には須美子の明るいタッチの絵に心が和んだ。
パリで長女が生まれ、幸せに過ごしていたのだろう。鼎、須美子、長女の一が映った動画が残されており会場で見ることができた。皆の笑顔が楽しそうだ。
しかしその後、次女が生まれるがわずか一ヶ月で他界。鼎は敗血症で28歳の若さで他界する。「垣根の前の少女」「金魚」「休む赤衣の女」など独特の画風が出来上がってきた頃であったからさぞかし無念であっただろう。
傷心の須美子は長女を連れて帰国するも、長女も他界。須美子自身も25歳で肺結核の為他界。遺言を求められた際「感謝」を述べたという。17歳で結婚し25歳で他界するまでの数年間に、渡欧、画家デビュー、出産、家族の死と濃密な出来事を体験。時代もあるかと思うが、令和を生きる私には考えられない程の激動の人生だ。
企画展へは平日の昼間に訪問したが、観覧者はまばら。ビッグネームの展覧会ではないため僭越ながら採算がとても気になるが、そんな中でもこの企画展を開催し、板倉鼎と板倉須美子を後世に伝え残そうと試みた千葉市美術館、そしてご遺族に感謝を申し上げたい。
ゴッホですら生前は無名だった。
絵画そのものも見応えがあるが、二人の人生をもっともっと沢山の人に知って欲しい。
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