ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画
太田記念美術館|東京都
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恐竜~立原位貫~ミクロネシア~ポール・ジャクレー
上野の森美の「恐竜図鑑」展のレビュー書いてて、ふと思った。
日本での恐竜を取り上げたコーナーに登場させるべき重要な小説家と画家が抜けていると。
小説家とは夢枕獏、作品は「大江戸恐龍伝」、画家とはその挿絵を担当した浮世絵版画家の立原位貫だ。
平賀源内が江戸に恐竜を連れてくるという、とんでもなく奇想天外な面白い話で、ストーリーと共に挿絵版画の素晴らしさが印象に残っていた。
木版多色刷りの版画は、江戸情緒も平成モダニズムも併せ持った美しいもので、挿絵単体で見ても惚れ惚れする作品だった。
さらにすごいのは、立原さんは描き、彫り、刷りをたった一人でやってしまう超人だったこと。しまいには、絵の具の開発から紙漉きまでやってらした。
過去形で書いているのは、2015年に亡くなられたから。
恐竜図鑑展にその版画を出して、もっと多くの方に立原浮世絵を知ってほしかった。
で、話は太田美術館でのポール・ジャクレー展へと展開する。6月初めから7月末までの展覧会で、前後期で全点入れ替え、私は両方行った。
新版画と呼ばれる多色細密な木版画は、いったいどうやったらこれほどの作品ができるのかと、驚きを通り越して畏敬の念さえ湧いてくる、それはそれは素晴らしいものだった。
そのジャクレー作品を見ていて、立原浮世絵に似てるなあと思ったわけだ。
もちろん、時代的にはジャクレーのほうがはるかに前、昭和の前半分で、平成の立原さんがその版画を見ていたかどうかはわからない。
が、ジャクレーが旧日本領だった南洋の島まで写生旅行に行って、現地人の姿態を正確かつ美しく作品化してるのを見たら、同じく南方の島が登場する「大江戸恐龍伝」が想起され、その挿絵にも共通点があることを思ってしまう。
いずれにせよ、ジャクレーの版画はすごい。メインビジュアルの《打ち明け話の相手》を見て、これが版画だと思う人はいないのでは?
この作品、なんと200回以上の刷りでできてるんだと。描きも描いたり、彫りも彫ったり、刷りも刷ったりだ。
ジャクレー版画は、江戸からの浮世絵手法を踏襲した、絵師、彫り師、刷り師の完全分業制。
北斎や広重なら、彫り師や刷り師にもっと脚光をとはあんまり思わないけど、ジャクレーの場合は、刷り師や彫り師へのパワハラじゃないかと言いたくなる。
でも、会場にあったキャプションに刷り師の談話があって、刷りの多さや複雑さはちっとも苦じゃなかったがジャクレーに気に入られる色を出すのが最大の苦労だったとのこと。
なるほどねえ。確かにそうかもしれんなあ。我々は完成した作品見て驚いてるだけだが、その豊かな色彩の裏には、計り知れない試行錯誤はあったのだろう。
ちなみに、会場でもらった展示リストにはちゃんと、彫り師、刷り師の名前は記載してあり、少しは救われた気分になる。
ジャクレーの特長をあげるなら、旧日本統治下の諸外国に行って現地の人々の生活、文化、風俗等を作品として多数残していることだ。
当展では、前後期合わせて162点が展示され、ほとんどは人物画。うち日本人を描いてるのはアイヌ含めて約20点だ。
あとは、中国、朝鮮、モンゴル、そして南洋諸島の人々。満州の着飾った高貴な階層から、南洋の半裸の現地人まで、民族の垣根を越えてあらゆる人物にSPOTを当ててくれている。
別の見方をすれば、なぜ日本人でこのような他民族を描いた者がいなかったのか。
遥か彼方の南の島はともかく、中国や朝鮮なら頻繁に行き来できたし、現地人の肖像画ももっと残ってていいはずなんだけどね。風景画は描いた画家は多いのだけど。
ジャクレーという人が、どんな人だったかはよくわからないが、日本人が描かなかった日本領土内の人を描いてくれてるのは実に貴重で、後世の鑑賞者にとってはありがとうと言うしかない。
極彩色の木版画の完成度と合わせて、東アジアやミクロネシアの人々を偏りなく紹介したことにジャクレーの功績はあるのだと思う。