没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡
福島県立美術館|福島県
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須賀川が産んだ三大偉人の一人
三人とは、円谷英二、円谷幸吉、そして亜欧堂田善です。[1]
私が勝手に選出しましたが、おそらく須賀川市民のかたがたも異論なかろうかと。
亜欧堂田善とは一度聞いたら忘れない名前です。
私はこれまで聞いたことあったようななかったような、何をした人かも全然知りませんでしたが、今年2022年の夏、その作品を初めて見ることができました。
下関市美であった日本の風景画がテーマの企画展でした。[2]
そこには油彩画1枚と銅版画2枚が出展されており、解説見れば日本の近代絵画史上重要な役目を果たした江戸時代の画家であることがわかりました。
生没年は1748~1822。今年が没後200年で大回顧展が生地である福島県から始まったというわけです。[3]
20代から絵を描き始めた田善は40代後半に松平定信に御用絵師として取り立てられ、長崎留学で西洋画や銅版画を学んだそう。
遅咲き絵師ですから、現存する作品はそれほど多くないようですが、墨絵、油彩画、そして銅版画と、江戸時代中後期にあってはかなりの独自路線を歩んでいます。
当展にはその初期から晩年まで、多彩な作品が網羅的に集結、画業を振り返ることができます。
初期の墨絵は、お世辞にも上手くない。しかし出展作品を時系列的に見ていくと、めきめきと上達していく様がよくわかります。
田善は「洋風画家」と紹介されているとおり、油彩とあっても絵の具は薄塗りで、日本画テイストが残っています。
代表作としては《両国図》や《浅間山図屏風》があります。[4]
前者は相撲取りやその取り巻きを描いた、墨田川端の風俗図。浮世絵にはない色と陰影がユニークで遠近法も見事です。
後者は東博所有の重文で、六曲一隻の大きな屏風です。雄大な浅間山と立ち上る噴煙、たなびく霞と近景の森。遠近はありますがさほど感じない。
どちらの絵も、浮世絵、琳派、狩野派全盛時に描かれたのが本当に貴重です。
そして田善の真骨頂である銅版画。
日本での嚆矢は司馬江漢であり、その弟子が田善です。
当展には数多くの作品が出ており、西欧版画の模写から始まって花鳥や風景へと、これも技量がどんどん上がっていくのが顕著です。
特に19世紀初頭、文化年間に集中して描かれた作品である江戸の名所図は必見です。
「異版」と呼ばれる、原版を再修正した作品もあるので比較して見るのも面白いと思います。
師の司馬江漢をして、「銅版画は私より上手い」と言わしめた田善。
凸版の木版画しかなかった日本で、黙々と銅板を刻んでいた作者の膨大な作品群には、パイオニアという敬称以上の肩書を与えたくなる力が存在します。
会場最後半には、晩年の山水画や人物画が並び、銅版画を離れてのびのびと画筆を走らす一絵師の別の姿が浮かび上がります。
亜欧堂田善、1822年没。この年に生まれたのが高橋由一。
日本の「洋風画」はいよいよ「洋画」へとつながっていきます。
脚注
[1]円谷英二はご存じ日本特撮映画の父。亜欧堂田善の子孫だそう。円谷幸吉は1964東京五輪男子マラソンの銅メダリスト。
[2]下関市立美術館企画展「山水画と風景画のあいだ―真景図の近代」。下関市美は以前から当サイトへ登録を要請するも現在まで叶わず。
[3]福島展は12月18日まで。その後2023年1月に千葉市美に巡回。
[4]両作品とも当展では前期(11月20日まで)展示のみ。
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