特別展「京(みやこ)に生きる文化 茶の湯」
京都国立博物館|京都府
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利休「以前」も「以後」も、茶の湯をじっくり学べました。
茶の湯が、①人々の間にどのように根付いたのか、②時代に合ったものへと変化していったのか…という疑問点について、丁寧に歴史をひもときながら、茶道具や諸資料とともに学ぶ機会でもある理想的な展覧会であった。
鎌倉以降に禅宗寺院の生活模範を示した「清規」の中に作法が規定し、茶礼として整えられた。武家の会所でも、もてなしの場で茶を楽しむ文化が生まれ、日中貿易によりもたらされた文物が「唐物」として飾られる。そして唐物を賞玩する武家文化が発展する。
信長は、足利家の茶道具への意識を継承した(「御茶湯御政道」)。武家としての儀礼のみならず、政治的権威を与えるものとして茶を扱った。政治的に茶の湯が花々しく飾り立てられた。利休は、天下人の茶を体現する一方で、自らの審美眼で独自の道具を生み出し独創性を持ち茶の湯を発展させた。
寺社の門前や、公家武家門前でも「一服一銭」を振る舞うことが広まり、良質の茶の栽培が求められるようになる。展示作品の屏風図や巻子などから、幅広い階層に豊かな喫茶の相様を読み取れることができた。
明治政府は「茶道と遊芸に含めよう」と方針をかためていたが、玄々斎は「茶道は儒教の精神を基礎に成立した伝統文化である」と解き、敢然と異を唱えた。また、明治5年の京都博覧会では、玄々斎が考案した、欧米の生活習慣に合うテーブルと椅子を用いた「立礼」を展覧。新しい時代に適した茶の湯の創造として京都博覧会に出品された。そのほか、同志社学校における教育でも「礼儀作法」として新島八重が茶の湯を導入したという。また、同時代には財政界からの茶の湯の関心も高まり、「数奇者」とよばれるように。
多くの外国人が在住していた京都において「を日本伝統文化の岐路として、茶の湯も例外でなく海外へ流出する」と茶道における新しい時代の流れも明治期に掴んでいたという。
・760年頃(no21):《茶経》2冊 中国・明時代 嘉靖21年(1542)刊、大阪 公益財団法人武田科学振興財団 杏雨書屋:陸羽最古の茶書著す。歴史、製法、効用、喫茶法、を記した日本最古の総合的茶書。
・815年頃(no30):重文《宮城図》1巻 鎌倉時代 元応元年(1319)、京都 陽明文庫:畿内に茶樹を植えること命じる。
・1000年:東寺の灌項具に茶道具記される「東寺宝蔵目録」。
・1016年:道長、病に茶を喫す。
・1141年(no70):国宝《南大門前茶商人沙弥浄音条々請文》「東寺百合文書」のうち 3863巻・1172冊・6帖・ 67幅・13695通 のうち1通 室町時代 応永18年(1411)、京都府立京都学・歴彩館:名品解説、墨跡絵画、由来、価格、茶壺の形状、茶の湯の歴史を記載したもの。
・1191年(no39):《明庵栄西像 絶海中津賛》1幅 南北朝-室町時代 14-15c 京都 両足院:栄西帰国。
・1206年(no40):《明庵栄西像 一庵一麟賛》1幅 室町時代 応永14年(1407) 京都 両足院:高山寺創建。
・1211年(no48):《喫茶養生記》断簡 1幅 南北朝時代 14c、京都 建仁寺:明庵栄西。
・1336年:足利尊氏 茶寄合で賭け事禁止「建武式目」。
・1343年(no68):重文《祇園社家記録》9冊のうち1冊 南北朝時代 康永2年(1343)、京都 八坂神社:闘茶勝負。
・1403年(no69):国宝《南大門前一服一銭茶売人道覚等連署条々請文》「東寺百合文書」のうち3863巻・1172冊・6帖・67幅・13695通 のうち1通 室町時代 応永10年(1403) 京都府立京都学・歴彩館:東寺南大門前や社寺の門前に一服一銭の茶売。
・1586年:神谷宗旦『宗旦日記』を書き始める
・1588年(no105):《山上宗二記》(天正十六年二月廿七日付 雲州岩屋寺宛)1巻 桃山時代 天正16年(1588)、京都 不審菴
・1591年(no160):《唐物茶壺 銘 橋立》1口 中国・南宋─元時代13-14c、京都 不審菴:利休が大徳寺聚光院に茶碗預ける。
・1591年(no220):《合わせ貝香合》東福門院下賜 1合 江戸時代17c、京都 不審:菴秀吉宇治へ茶摘み見物。
・1648年(no211):《褐釉四方茶入》野々村仁清作 1口 江戸時代 17c、京都国立博物館:金森宗和、松屋久重を招き茶会(宗和、切形茶入用いる)。
・1678-85年(no218):《後西院御茶之湯記》真敬法親王筆 1冊 江戸時代 17c、奈良 唐招提寺:興福寺一乗院 真敬 法親王記す。
・1872 m5(no234):《茶道の源意》玄々斎筆 1幅 明治時代 明治5年(1872)、京都 今日庵:玄々斎、茶道を遊芸に入れようとする明治政府の方針に儒教精神を基礎に成立させた伝統文化であると敢然と異をとなえた。
・1872 m5(no236-8):《竹茶杓 銘 よろこび》新島八重作 1本 大正時代 大正10年(1921)、同志社大学茶道部:新島八重、千猶鹿子と出会い、同志社の生徒に茶道を教授。
・1872 m5(no245):《黒漆塗点茶盤・喫架・円椅》玄々斎好 1式 明治時代 19c、京都 今日庵:京都博覧会開催時にむけて流礼式を考案。
・1877 m10(no239):《北野献茶祭図巻》榊原文翠筆 1巻 明治時代 明治20年(1887) 京都 茶道資料館:北野天満宮の献茶会。
・1994:《黄金の茶室》早川正夫[1926-, 建築家]による設計、監修:伏見桃山キャッスルランド
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・(no25):重文《五百羅漢図》周季常・林庭珪筆 82幅のうち8幅 中国・南宋時代 淳熙5-15年(1178-88) 京都 大徳寺:中世寺院に伝えられた宗代の茶礼を可視化。
・(no33◎):《四頭茶礼道具》1式 江戸時代17-19c 京都 建仁寺:禅宗寺院で行われる。建仁寺では4月20日の栄西誕生日に行う。
・(no54):重文《清水寺縁起絵巻》巻上 詞書:三条実香・甘露 寺元長ほか筆 絵:土佐光信筆 3巻のうち1巻 室町時代 永正17年(1520)頃、東京国立博物館600巻の写経(1520頃、坂上田村麻呂の戦勝祈願のため)をする僧に茶を点てる僧が天目台で配膳する稚児。
・(no68):重文《祇園社家記録》9冊のうち1冊 南北朝時代 康永2年(1343) 京都 八坂神社:闘茶の方法は栂尾(本茶)と他所産(非茶)を飲み分ける。
・(no75◎) 国宝《宮女図》伝 銭選筆 1幅 中国・元時代13-14c:王帯に笛を挟む男装の宮女。
・(no80◎):《蘿蔔蕪菁図》伝 牧谿筆 2幅 中国・南宋時代13c、東京 宮内庁三の丸尚蔵館:白菜、大根。足利家から明治天皇へ素材の素朴で清淡な味わいを客と共にする気取らない禅の境地を利した蔬菜。
・(no83◎):《君台観左右帳記》1巻 室町時代 永禄2年(1559)、東北大学附属図書館:将軍のそばで(近侍)唐物管理にあたった同朋衆が編んだ座敷飾りの規定書 中国画家、器物、説明、座敷飾りの解説。
・(no90B):重文《茉莉花図》伝 趙昌筆 1幅 中国・南宋時代13c、東京 常盤山文庫:弟子の古市澄胤に茶道の心得を記した和漢の違い流行に執着しない。
・(no100B):重文《油滴天目》1口 中国・南宋時代12-13c、京都 龍光院
・(no102◉):《唐物小丸壺茶入》1口 中国・南宋─元時代13-14c、京都 慈照寺:義政遺愛の品(東山御物)
・(no106):重文《馬祖龐居士問答図 愚極智慧賛》1幅 中国・元時代13c、京都 天寧寺:「茶禅一味」侘び茶の精神=執着を捨てあるがままに自分をみつめる。
・(no108):《心の一紙》鴻池道億写 1幅 江戸時代18c、京都 今日庵文庫:①珠光(1423-1502)。
・(no120◎):《竹茶杓》武野紹鷗作 1本 室町時代16c、東京 三井記念美術館:細身、元節、かいさき穏やかに丸み
・(no128◎):重文《三十三間堂通矢図屛風》6曲1隻 桃山時代17c、大阪 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館
・(no130◎):重文《調馬・厩馬図屛風》6曲1双 桃山時代17c、滋賀 多賀大社
・(no132◉):重文《四条河原遊楽図屛風》2曲1双 江戸時代17c、東京 静嘉堂文庫美術館:女歌舞伎、虎皮着衣。
・(no133◎):《北野社頭遊楽図屛風》狩野孝信筆 6曲1隻 桃山時代 17c
・(no190B):重文《柿図・栗図》伝 牧谿筆 2幅 中国・南宋時代 13c、京都 龍光院:黒田政長、父の菩提寺、大徳寺に龍光院建立。
・(no231):重文《義演准后日記》自筆本 62冊のうち1冊 江戸時代、元和5年(1619) 京都 醍醐寺:醍醐寺座主、宇治へ茶摘み見物
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