4.0
山王美術館所蔵すべての藤田を拝見!
藤田嗣治については、過去に結構学んだことがあり、その中で一番印象に残っていることは、戦後戦争画を描いた多くの画家の中で、戦犯となる可能性の恐怖から、やり玉にあげられた藤田嗣治でしたが、QHGから直接戦犯扱いになったわけではなく、仲間内からの自己防衛反応として突き出された形となったこと、藤田にとって一側面は不幸に見えますが、そうでなかったとしても、パリ永住していたのではないかと考えます。
パリ留学(1913~)以降、自分を確立するまでの模索の期間、数多くの画家との交流でその影響を垣間見ることができます。「パリ郊外の風景(1917)」はアンリ・ルソーの影響を強く感じ、「くちづけ(1914)」を見た瞬間、アーティゾン美術館で見たコンスタンティン・ブランクーシの「接吻(1907-10)」の石膏にそっくりで驚きました。
そして、藤田といえばの乳白色の白い肌ですが、その模索期に実験的に描いた「りんご(1920)」ですが、何気ない静物画ですが、乳白色が生まれる前夜だと思うと、わくわくする絵に見えてきました。
後半は、少女像の絵が続きますが、子供のいなかった藤田にとって、絵の少女が本当の子供のように思っていたとの事ですが、特徴ある顔で、すぐ藤田の絵とわかるのですが、よくみると一人ひとり微妙に違い、すべてに個性をもって描いていたことがわかりました。
また、常設展で棟方志功がやっているとは思わず、一人得した気分になりました。先日、今年度いっぱいで閉館してしまう青森の棟方志功記念館に行ってきたばかりで、棟方作品をいつもよりたくさん見る機会となりました。金地の「寒山拾得」も描いていることを知り、晴天抄板画柵シリーズでは、棟方の句と思いきや、最後に、原石鼎の句であることを知り、コラボ作品だったんだと今まで見た作品を頭の中で書き換え、新たな情報が加わりました。
いつもながら、楽しいひとときでした。