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松尾芭蕉像のいろいろ
色んな人が描く松尾芭蕉を見る事が出来ました。与謝蕪村を筆頭に、蝶夢、井上士朗、東東洋、長谷川雪旦、中村芳中、学沢、須磨対水、いずれも一目見て松尾芭蕉とわかる特徴を捉えているなと感じました。(訪れたのが後期のため、伊藤若冲画の松尾芭蕉像は見る事が出来なかったのが残念!)
でも、よくよく考えると、今、名前を挙げた人は、1人も松尾芭蕉に会った事がないので、誰かの肖像画の模写のはずです(須磨対水は、呉春の模写との事)。
最初よく似ているなと感じたのは、どの絵にも共通する松尾芭蕉と言えばの衣装(道帽と呼ばれる頭巾をかぶり、僧侶が身につけた黒染めの衣に似た編綴姿)がトレードマークとして第一印象を与えていたことがわかりました。これは、アンディ・ウォーホルのシルバーのかつらを想起させます。江戸時代、ポップな衣装であったか、アンディのように芭蕉が狙っていたかはさておき、現代の芭蕉の画像イメージの定着は間違いありません。そう考え、もう一度よく顔を見ると、それぞれ異なる印象を持つようになりました。
やはり実際に会ったことのある人の松尾芭蕉像が一番似ているのではと思い、ネットで調べると、蕉門十哲の森川許六が描いた「奥の細道行脚之図」が松尾芭蕉が亡くなる2年前48歳のときに、45歳当時の松尾芭蕉を描いています。これから旅をするぞという決意、生命力を感じるふくらみのあるお顔で、今回見た松尾芭蕉像のどれとも合わない気がしました。
最後に「13歳からのアート思考」で学んだ、ひまわりを描くとき、多く方が満開の花を描きます。しかし、ひまわりの人生は、種→芽が出て→茎が伸び→葉が繁り→花が咲き→花は枯れ→種を落とす。花が咲くのは一瞬で、時間的にみたら、茎や葉を描くことの方が完全でなはないが、ひまわり全体を捉えているという考え方もあるとの多様性を学びました。そこから、今回拝見した松尾芭蕉像も、年齢的に最晩年であれば、痩せてるいるだろうし、愛嬌のある性格を表現したデフォルメであったり、すべて松尾芭蕉の側面を捉えた肖像画だと思いました。その根本には、松尾芭蕉に対するリスペクトがあって初めて成立するものを考えます。
いろいろ考えると楽しいアート体験でした。