5.0
陶芸から書まで多才
会期も終わり近くだったので大盛況でした
ひとつとして似たものがない多彩な陶器の数々に魅了されました
制作年代をみるとなぜか歳を重ねるにつれ若々しい印象がありました
言葉のかずかずもそれぞれに心に訴えかけるものばかりでした
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明治23(1890)年、島根県安来市に生まれた河井寬次郎は、明治43(1910)年に松江中学を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科に入学し、同校で後輩の濱田庄司と出会い、生涯の友人となります。
卒業後は京都市立陶磁器試験場で技手として研さんを積み、大正9(1920)年、京都市五条坂の清水六兵衞の窯を譲り受け、工房と住居を構えました。
「天才は彗星のごとく現る」と絶賛を浴びた初個展以来、高度な技術を駆使した中国や朝鮮古陶磁の手法に基づいた作品が好評を博しますが、次第に自らの作陶の在り方に疑問を抱き、大正13(1924)年、濱田庄司を介して柳宗悦と親交を結ぶと、それまでの作風を一変し、実用を重んじた力強い作品を生み出していきました。
その後、柳や濱田と民藝運動を推進し、昭和11(1936)年に「日本民藝館」が開館されると理事に就任しました。戦後は、色鮮やかな釉薬を用いた重厚で変化に富んだ独自の作風を確立する一方、実用にとらわれない、自らの内面から湧き出る自由で独創的な造形表現を展開し、その卓越した芸術性は、没後50年を超えてなお、国内外で高い評価を受けています。
本展では、京都の旧宅であった河井寬次郎記念館所蔵作品を中心に、本邦初公開となる山口大学所蔵作品などの陶芸や木彫、書、調度類などを紹介し、寬次郎の仕事の全貌と深い精神世界を辿ります。
さらにパナソニックの創業者、松下幸之助が求めた寬次郎作品の他、幸之助が寬次郎に文化勲章を推薦した際に寬次郎に贈った当時の最新トランジスタラジオ「パナペット(R-8)」の同型品を特別出品します。
会期 |
2018年7月7日(土)~2018年9月16日(日)
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会場 |
パナソニック汐留美術館
![]() |
住所 | 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階 |
時間 |
10:00~18:00
(最終入場時間 17:30)
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休館日 |
水曜日 8月13日(月)~15日(水) |
観覧料 | 一般 1,000円 65歳以上 900円 大学生 700円 中・高校生 500円 小学生以下 無料
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TEL | 050-5541-8600 (ハローダイヤル) |
URL | https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180707/ |
5.0
会期も終わり近くだったので大盛況でした
ひとつとして似たものがない多彩な陶器の数々に魅了されました
制作年代をみるとなぜか歳を重ねるにつれ若々しい印象がありました
言葉のかずかずもそれぞれに心に訴えかけるものばかりでした
5.0
作品、生き方、人柄、全てにおいて尊敬する人です。お嬢様への愛情溢れるエピソードと猫ちゃんの作品など、生活の一部に作品があるなんて、素敵です。京都に行く際は記念館へ行って、思いを馳せたいです。
5.0
先に世田谷美術館で鑑賞した浜田庄司展における、学芸員講演会での「浜田庄司と河井寛次郎は作風や性格が全く違う」という言葉を思い出しながら、河井寛次郎の作品を鑑賞しました。
正統派の陶芸家 浜田庄司と自由奔放で多才な河井寛次郎という印象。
河井寛次郎は、陶芸家の枠だけにおさまらない、彫刻、デザイン、書など多才。
河井寛次郎と浜田庄司の展覧会を、対比しながら鑑賞できたのは幸運でした。
4.0
陶器の作品の出品はさほど多くなく、木彫作品や書も出ていたが、注目すべきは、寛次郎の「言葉」に着目した点。
椅子に座って、井浦新さんが録音された、河井寛次郎の言葉を聞くことができ、視覚と聴覚で、寛次郎の言葉を堪能できる。
寛次郎は禅の影響を受けているなということが良く理解できて、作品を眺め直す参考になりました。
4.0
寛次郎さんといえば民藝!!とおもっていたので、もっと田舎くさいような作品がおおいのかも」??と心配していたのですが、陶器もよい意味での「土区臭さ」があって、生活に根ざした、やさしいあったかい作品がたくさんありました。
今回の見所は山口大学の所蔵品の数々!!ちょっとみたことのないものも多いのでぜひぜひオススメしたいです。
また、木彫りのお面や竹細工も面白いのですが、注目は「おことば」です。
今回の展覧会後半では寛次郎さんのお言葉が展示してあり、なんと、井浦さんの語りとともにあじわえるという、ゴージャスさ。そのおことばの描かれた陶板も必見です。
4.0
超俗というには親しみやすく、脱俗では世間から切り離されているイメージがつきまといます。
河井寛次郎を一言で表す言葉がみつかりません。
名声を望まず人間国宝や文化勲章を辞退しているので孤高なのかとも思いますが、その陶芸は親しみやすい。
民藝運動に深く関わって用の美を追求した時期もあれば、戦後は作風を転じて造形美に傾斜する。
時代によって作風が変わることは、芸術家にしばしばあることですが、振れ幅は大きく、陶芸にとどまらない。
この展示会では陶芸作品はもちろんのこと、木彫があり、書があり、また文章をよくしたこともうかがえます。
河井寛次郎の名前はよく耳聞きしていましたが、百三十点を超える作品をまとめて目にすることで、改めて強く印象付けられました。
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《三色打薬双頭扁壺》1961年頃 個人蔵 撮影:白石和弘
《練上鉢》1956年頃 河井寛次郎記念館蔵 撮影:白石和弘
《青瓷鱔血文桃注》1922年頃 河井寬次郎記念館蔵 撮影:白石和弘
《二彩双龍耳壺》1923年頃 山口大学蔵 撮影:東郷憲志(大伸社ディライト)
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《鉄釉抜蠟扁壺》1943年頃 河井寬次郎記念館蔵 撮影:白石和弘
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