4.0
形も、色も、薄れてゆく時空
東京国立博物館にて9月23日迄開催されていた同タイトルの展覧会の続編、ということで、自ずと東博からのながれで本展の時空に身をゆだねてみた。
東博では、生と死、二つの世界が意識させられた。二つの時空は、厳然と両者ともに在るが、その境界は曖昧で交差もする。また、空間への意識とともに、現在・過去・未来と時間のベクトルも意識された。
それに続くエルメスフォーラムの場では。
8階のエレベータから展示会場に歩を進めると、まずは、明るい朱の玉や乳白色の風船が目に入る。東博の第1室からのつながり、で始まる。
が、同階の2室から9階へ、と鑑賞ルートに従って進むにつれ、形あるものは小さく、低く、少なくなってゆく。壁のカンバスに描かれる色彩は次第に薄れてゆき、最後は白に。生の営みの痕跡(千代紙、クシャクシャのファッション誌の一頁、等)も同様だ。
最後に行きつく、8・9階吹抜け空間の9階エリア。8階空間に漂う生命感は、その上部の9階空間には希薄だ。まるで重力が働いているかのように。ただ白い空間に、ガラスブロックから差す柔らかな光、それだけ。目に映る世界は「無」だ。でも、不思議なことに、生の「気」の漂いは感じられる。
東博からのながれ、でもうひとつ。こちらには、時間の軸は不在。真っ先に消えた。
形も色も時間も、最後には全て昇華した空間に、光と気が残る。これは決して虚無ではない、と感じた。
ただし、清々しい気持ちにはなれない。モヤモヤ感を抱きつつ会場をあとにすることとなった。
ここからは内藤礼の制作そのものからは逸脱する。
黒い制服の係員が多い。皆さん姿勢や所作は洗練されていて素晴らしいのだが、異質の存在感を放つ。時空に漂う微かな存在の変化を受け止めようとする鑑賞者にとって、違和感はある。仕方ないことながら。
夕方4時頃に入館。4時半頃に室内照明が点灯し、外光からのライティングの変化を楽しめたのは計算外の幸運でした。