パウル・クレー展 創造をめぐる星座
兵庫県立美術館|兵庫県
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絵筆でバイオリンを弾いた人
「バイオリンの弓で絵を描いた人」でもいいかもしれない。音楽家にして画家という人の中で、クレーはその両方がプロであるという点で唯一無二な存在だ。
今は歴史に残る画家として知られるわけだが、そうなる前の時代はバイオリン奏者として生活の糧を得ていたというのだから、音楽と美術の二刀流を成しえたいわばアーティスト界の大谷翔平だ。タイトルはそんな意を込めてみた。
例えば、聴いた音楽から閃いたイメージを絵に著したというのならミロがそうだと日美で解説者がおっしゃってた。
じゃあクレーも、その音楽的感性というかフィーリングを直感的に美術に反映したのかというと、ちょっと違うんじゃないかと思う。
クレーはリスナーじゃなくてプレイヤーでありコンポーザーだ。したがって、作曲するがごとく絵を描く。つまり音符を色と形で表して絵にしていったのではなかろうか。
もしそうならこれは単なるミュージシャン画家にはできない芸当だ。そこには、この音にはこの色、この曲にはこういう形といった、確固たる裏付けのようなものがあったに違いない。すなわち、クレーが有していた絶対音感が、美術になると絶対色感とも言うべき才能として発現していたともいえる。
ならば次はモンドリアンとの比較になってくる。
クレーもモンドリアンも似たような矩形分割の抽象画を描いているが、線の引き方も色調もまったく異なる。モンドリアンは製図板とT定規を使ったかのようなマス目を引きその枠内に3原色+黒で色付けしているのに対し、クレーの線はフリーハンド、色は中間色を多用した明度・彩度の低い色使いだ。
一見、モンドリアンのほうが理屈っぽく見える絵で、見る者の想像力を排したテクニカルな感じを受け、クレーの矩形分割画は、何かの具象画にモザイクをかけたかのようで、それは彼の心象風景とも受け取れる。
しかし、画家の足跡から推察するに、モンドリアンはスピリチュアル世界に心酔し、その教義の到達点が3原色の矩形分割画だ。心象世界はこっちなのである。
一方でクレーはバウハウスで分厚い教科書を著して教鞭を執っていた。その本を山田五郎さんが、動画で見せてくれてたけどこりゃもう数学か物理学かのテキストだ。バウハウスの学生たちにそれが理解できたかどうかはわからないが、クレーは理論と実践を彼らに定量的に示したんだと思う。
そして彼が描いた抽象画には、色の選び方、線の引き方、形のデフォルメ化、モザイクのかけ方等に、法則性や理論的な制約を課していたのだろう。
そこが精神世界にハマったモンドリアンとクレーのアカデミズムとの違いだと私は想像する。
「目に見えないものを見えるようにするのが芸術だ」とクレーは言った。しかしそれは決して何かが降りてきて運筆させるようなオートマティスムではない。
「絵筆によるイメージの採譜」がクレー芸術なんだと思う。
以上が、クレー先生が私に与えた課題「私の絵を見ての感想を書きなさい」に対する私なりの回答です。
そんなんじゃ点はやれないと、先生はおっしゃるに違いない。
だろうなあ。でも精一杯のド素人の感想なんです。どうかお許しを。
さて、パウル・クレー展、兵庫県美での会期はとうに終了し今は静岡市美に巡回し開催中です。私は兵庫県美の会期終了1週間前の日曜日に訪問しました。
客がものすごく多くて流石の巨匠展だなあと感心してたら、実はその日は学芸員さんの解説講演日かつ常設コレクション展が無料日だったそうです。
今回のクレー展は彼と関わりのあった作家たちの作品も交えながらクレー画を配置していく構成で、正直、クレーの絵に集中したいとの思惑は外れました。
でも、やっぱり好きな作家であり絵には違いない。これぞクレーだという絵はたくさんありましたから。
作品をまとまって見るのはこれが2回目だと思ってました。前回は2年前に見た「ピカソとその時代展」にベルクグリューン美術館から来てた約30点で、この時を境にクレーファンになったと当サイトに書きました。
が、自宅で過去の図録を整理してたら、なんと1993年にあった大回顧展のそれが出てきました。山口県美であったその展覧会には《パルナッソスへ》も来てて、見てるんだなあ。すっかり忘れてました(汗)
このレビューはその図録も見ながら、五郎さんの動画解説もちょこっとパクリながら書きました(笑)
ところで、パウル・クレー巨匠のお顔、どなたかに似てると思いませんか? この数年間、国際ニュースに最も多く登場したかたです。
クレー先生はナチスの弾圧から逃れ逃れて故郷のベルンに戻りましたが、そのかたは隣国からの侵略に今日も敢然と立ち向かっておられます。