内藤礼 生まれておいで 生きておいで
東京国立博物館|東京都
開催期間: ~
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交差する二つの時空
東博の3室を使ってのインスタレーション展示、本館特別5室も公開する。この程度にて事前の情報公開は少なく、それなりの意図があるものと感じ敢えて予習も控え、オープンな気持ちで臨んでみた。
(同様のお考えの方には、以下ネタバレ記述もありご賢察・ご注意ください)
結論として。本作はもうアートの枠には収まりきれない、死生観(生への礼賛)や思想の劇的な表現であった。
まず第1室(平成館企画展示室)の入口にて。 1→2→3→2→1の部屋順で回ると良いとの表示あり。
横長の第1室に右側入口から入室すると、通常時の展示空間を分かつガラスの内側は白色照明で明るく、歩けるこちら側の鑑賞者空間は暗い。目が暗さに慣れてくると、わずかな空気の流れに揺らぐ数々の玉のカラフルな色合いが目に入る、でも5mほど先は色彩のない暗い空間だ。
一方でガラス越しの向こうの空間は、透明の小さな玉や小さな土器がところどころに。白色に明るいほかは、色はない。空気は流れていない。
部屋のこちら側を右から中央に、そして左奥へと、色玉をかき分けつつ、ゆっくり歩いてみる。さっきまでは暗くて見えなかったエリアの玉の色が見えてきた。が、振り返ると、もといた右入口付近の玉の色が今度は見えなくなる。
ごちゃごちゃして、色に溢れ、後ろも前も見通しがきかない、でも動いて廻れる此方の空間。光に照らされ白一色、モノはあれど存在感はなく、動いていけない彼方の空間。よく見ると、ガラス境界に近い此方側にも彼方側と同じ透明玉が揺らぐ。境界は、あいまいなかたちで常に傍らにある。
第2室(本館特別5室)にて。
時は午後4時。天井高い大空間に西陽がさす。やや明るく、やや白い。透明の玉が、ここではゆらりと揺らぎ、空気は流れている。
床に点在する太古の昔の土器やらには、この空間では何かしら生命感を感じさせる仕掛けが施されている。第1室のような境界はここにはない。はてさて、ここは、そもそも曖昧だった境界そのものなのだろうか。
第3室(本館1階ラウンジ)まで、常設展エリアをその鑑賞客に交じって、東博本館1階の反対側へと歩き移動する。
普段は単なる回廊の一部であるラウンジの床に、ポツンと置かれた小さなガラス瓶。水が一杯に充ち、通行人の足音に今にも溢れそうだが、表面張力の力でびくともしない。形なき流動体が固まり、頑として止まっている。
ガラス瓶に気づかず足早に通り過ぎる常設展の客は多い。一方で、ソファーに座り込み、この部屋の時空に身を寄せる内藤展の客は数人。奇妙にも、二つの異なる人間が交錯する空間がここにある。でも時折、常設展客のなかに、床の異物に気づき足を止める人もちらほら。二つの異なる人間の境界は、ここでも実はあいまいだ。
常設展客の人波が途切れると、部屋の扉が閉まり、がやがやした喧噪から束の間の静寂に転じる。この部屋では、音も仕掛けのひとつと気づく。音、人、そして空気、すべてが止まる瞬間の到来だ。第1室の彼方側の時空そのものである。そして、内藤展客の自分は、あたかも第1室の彼方側からの視点で、この交錯する第3室に迷い込んできたような心境になる。そして数秒で扉が空くと、再び実際に交錯する時空が目の前に訪れる。
この企画展の核心ともいえる、凄い仕掛けの部屋だ!
第2室に戻る。
不思議なものだ、この広々とした空間にも、先ほどよりは生命力の宿りを感じる。西陽の傾きによる陰影コントラストの効果もあるのだろう。心なしか、自分自身の活力が刺激されるようだ。
第1室に戻る。
今一度、薄暗く横に細長い空間を、色玉をかきわけつつ、横断して歩いてみる。相変わらず遠くの色玉の色彩は不鮮明だが、周囲5mの空間は、主張はないが色や動きに常に囲まれていることを、印象深く再認識する。即ち、此方の時空にて、いま、今日を、生きているということを。
此方側の空間には、時間が存在する。過去も、現在も、未来も。現在しかよく見えないが。一方で、彼方側の空間はどうか。過去も未来も、全て一体となり止まった時間空間なのだろうか。
最初に勧められた通りに鑑賞してみた。鑑賞時間は実に一時間半も要した。
清々しい脱力感とともに、勇気というとやや語弊あるが、ふつふつと元気が湧いてくる。本展のコピー「生まれておいで 生きておいで」のコトバを素直に首肯する気持ちになった。
エルメスフォーラムでの続編が実に楽しみだ。