鑑賞レポート一覧

デ・キリコ展

デ・キリコ展

神戸市立博物館|兵庫県

開催期間:

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芸術の自由

久しぶりに訪れた神戸市立博物館。今回は東京からの巡回の「デ・キリコ展」である。
デ・キリコは過去に企画展等で数点観た記憶はあるが、今回のように100点を超える作品に触れたのは初めてである。
デ・キリコを有名にし、評価が高いのは「形而上絵画」と名づけられた作品群である。現実ではあり得ない風景や空間、ものの取り合わせを描き、独特の世界を展開している。ほぼ同時に会場入りしたご婦人方のグループはしきりに「難しい」とつぶやいていた。確かに見慣れた風景画や人物画と同じように作品に向き合うと画から伝わるメッセージや魅力は受け取りにくいかもしれない。それほどデ・キリコの描く作品はオリジナリティーが高く、孤高のアーティストだと言えるのだろう。
「形而上絵画」の作品群から印象的なキーワード3つを挙げて、私感を述べてみたい。
「イタリア広場」-同じテーマで何点か描かれているが、遠くに高い塔、手前に低く薄っぺらい建物、地面には這うように長く伸びた影。人による喧騒などなく、観るものに空虚感や不安を感じさせる。
「形而上室内」-正常な空間認識ではあり得ない歪な天井、球体やビスケット、大きな三角定規などがひとつの画の中に収められ、脈絡のない世界が繰り広げられている。
当方は鑑賞の足を進めるごとに自分がいかに画一的な既成概念や価値観に縛られているかということに気づかされ、ショックを受けた
物事は規範的であることが重んじられ、存在するものは整然と並んでいる方が美しく、正しいとされ、常に「かくあるべき、はず」という意識に支配されている現代社会。何と狭い世界で生きていることか。デ・キリコは我々に広く、新しい視点を与えてくれる。
「マヌカン」-デ・キリコの多くの作品に登場する顔のない人物は彼が最初に描き始めたとされている。それまでは人物画には表情があるのが当たり前だった時代に突然、このマヌカンが登場した時はさぞタブー視されたことだろう。そのマヌカンも制作年代につれて変化して行き、いろいろなポーズをとり、衣装をまとい、ストーリー性を帯びてくる。第一次世界大戦が勃発した頃と重なるので人間の非理性的な姿を映し出したものとする説も否めないだろう。
当方はこれらを観ていると「お前にはこの顔に何が見える?」と答えのない問いを突きつけられ、試されているような気分になってくる。これは以前「アンディウォーホル展」でも同じ思いになったのだが、現実をありのままに提示することなく、ものの本質や真実を見る側に探らせようとしてように感じる。デ・キリコが後のポップアートに影響を与えたとされるが、彼の精神が受け継がれのだろう。

デ・キリコはその後何十年も古典的絵画に戻り、裸婦像や中世期の衣装をまとった自画像を描いたりしている。画風はまるで違うが、才能の大きさは十分に見て取れる。
そして、晩年に再び「新形而上絵画」を描き出す。若い頃の「形而上絵画」ほど高い評価は得られなかったらしいが、そのバイタリティー、発想力には驚かされる。「才能は枯渇する」と言われるが、そのような言葉とは無縁の人だったのだろう。その時期の代表作に「オデュッセウスの帰還」があるが、椅子や家具が置かれた狭い部屋の中心に海があり、小舟で漕ぎ出すギリシャ神話の英雄オデュッセウス。言うまでもなく「形而上絵画」へと帰還した、80歳の自身の姿を描いているのだろう。

芸術とは本来何ものにも属さず、自由であるということをつくづく思い出させてくれ、自分と向き合わせてくれる素晴らしい美術展だった。
鑑賞を終え、会場の外に出た時、少し心が解放されたようで秋の乾いた風が心地よく感じた。

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rururio1124さん、morinousagisanさん

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