中村直人 モニュメンタル/オリエンタル
目黒区美術館|東京都
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「揉み」という技法
マッサージじゃありません。中村直人画の特長は、画紙を揉むことにあるのです。
和紙にグアッシュで絵を描いた後、全体あるいは部分的に紙を揉んで油絵感を出すんだそう。
確かに、その作品を見たら水彩じゃなくて油彩画だと思ってしまう。中村の発明だとしたら、特許か実用新案取れたのではなかろうか。
中村直人。「なおと」じゃなくて「なおんど」と読む。彫刻家から画家に転身し、戦後に渡仏、人気を博した画家なんだそう。
目黒区美術館で回顧展開催中で、美術館初訪問兼ねて行ってみた。
7月酷暑の中、目黒駅から坂を下って目黒川渡ってすぐに右折し川沿いを進む。
名物の桜並木の青葉の木陰にホっとしつつ、テニスコートとプールを横目で見ながら左折し100mぐらいで美術館到着。
区民センターもある緑地公園みたいな場所だが、雑草が茂りすぎ。目黒区民さん、もうちょい手入れなさっては。
開館5分前ぐらいで、ちょっとだけ待機した後に一番乗りで入館。展示フロアの2階へ上がる。
2階はすべて中村展に充てられ、1階含め他のコレクション常設展示はない。
最初に出てくるのは彫刻。中村がアーティスト稼業をスタートした昭和初期から戦時下までの木彫立像や石膏像が並ぶ。
彫刻家時代の中村は戦争作家の一面も持つ。自ら志願した従軍体験もあるし、戦意高揚画や彫刻も積極的に制作している。
腕は一流。レリーフ《暁の進軍》なんか、日本軍かローマ軍かわからないぐらいによくできている。
しかし当然のことながら、戦後はやはり糾弾にあう。
したがって同じ境遇にあった藤田嗣治からフランスに来いと誘われたのも、自然な成り行きか。
そして妻子を連れて渡仏。そこで絵画に開眼する。しかもそれは油彩じゃなくてグアッシュによる水彩画だ。
そこに水彩画の柔らかさはない。冒頭で書いたようにまるで油絵だ。で、その秘密が「揉み」にあるということだ。
私が小学生の頃、図工の時間に描く絵を、教科書に出てる油絵のようにしたくて水彩絵の具を大量にチューブから絞り出して厚塗りしたことがある。
が、乾くと何のことはない、いつもの普通の水彩画になってしまった。
日本の美術教育、いくら油彩の名画を紹介しても、その制作過程は教えないからこうなる。せめて義務教育の間に一度は油絵体験させるべき。
話を戻して中村画。
グアッシュなる絵の具もどんなものかも私は全然知らないが、とにかく水彩絵の具で描いた絵が見事に油絵(的な絵)に変貌している。
具体的には色を塗った後に紙を揉み、わざとヒビ割れ作って厚塗り感を出すんだそう。
揉みの程度は部分部分で変えて、例えば背景と人物の皮膚とではそのサーフェスの違いを出す。
これがフランスで爆発的人気を呼ぶ。新聞紙上で「日本からパリを征服に来た」と絶賛されている。
まあ確かに、それまでになかったような絵だし、極東の和テイストがある絵も描いてるし、新しもの好きなパリジャン、パリジェンヌも多かったのだろう。
12年間の滞仏の後、1964年に一時帰国し凱旋展を行ったらこれが大盛況で翌年、晴れてパリを引き払って母国に永住となる。
今回の回顧展では、中村の画業を知るのに必要十分な作品が網羅されている。
私含めて、初めてその名を知る方も多かろうと思うので、是非目黒美へ行ってみてほしい。
最後に当展に来なければわからなかった中村エピソードを。
1964年の凱旋展会場に出てた《パリの赤い家》の前で涙を流している女性がいたそう。その人に中村は一目ぼれし、熱烈な求愛をし、結婚にまで至った。
年譜はよく覚えてないのだが、すでに前夫人は亡くなってた時期なのだろう。
読めば赤面するようなラブレターも展示してあって、何よりの驚きがその女性の写真。ものすごい美人なのだ。
やもめの中村さん、うまいことやったなと誠に羨ましい限り。
晩年は目黒に転居し制作活動もさぞかし充実してたことだろう。
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