イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル
国立新美術館|東京都
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服メインのシンプルな展示は吉なのか。
イブ・サンローランの企画展がある、と聞いたときに私が思ったのは、
「おお!遂に日本でもメンズ服でモード系の展覧会が開けるのかぁ!」であった。
もちろん全くの勘違いでした。
でもその位に、ど素人の私でもサンローランのカッコよさは知っている。
サンローラン自身が時代のアイコンだったから。
そしてそのスーツ姿も目に焼き付いている。
サンローランのメンズスーツは本当にかっこいい。
是非ね・・・今度はメンズの企画展もよろしくお願いしたいところです。
で、今回の展覧会で、いくつか感じた違和感について書きたいと思います。
まず、上記の通りサン・ローラン自身が時代のアイコンですけれども、彼の個人的な諸々話が徹底的に出てきません。
ひたすら服やスケッチや。子供時代には多少触れてるかな、という程度。
もちろん服を見て何か感じてもらえたら、というのは本人が一番望むところでしょうが、例えばウォーホルと仲良しでファクトリーに出入りしてた(となると酒やドラッグや精神的な不安定さという問題がね・・・)、というような、その服が生まれてきた背景が標準化された時代イメージ以上にあまり出てこないように配慮されてるという印象を受けました。
つまり時代の寵児サン・ローランのイメージを封印した、しかもあえて、ということです。
サン・ローランって言ったらあの有名なヌード写真でしょう。
挑発的、なのに繊細な感じもする、という不思議な魅力ですよね。
そこらへん本当にウォーホルとイメージかぶるのよねぇ・・・。
で。主催者はスキャンダラスな面を封印したんでしょうが、私はもちょっと出していいと思うんですよ。
単純に服もその方がわかりやすいと思う。
文化村のマリー・クワント展って本人の写真や映像がいっぱい出てたと思うんです。
しかも縮小展開していくとことまで出してるわけ。その理由までしっかりと。
ディオールのイメージのままだったら(と言ってもディオールに解雇されて裁判になってたとは今回初めて知りました・・・)、激動の60年代や70年代、無茶苦茶な80年代を生き抜けなかったはず。どう乗り切ったのか?はすごく興味あるところだったんです。
例えばマリー・クワントが出てきちゃって、プレタポルテの必要性に迫られていった時にそれまでの路線からどうやってハンドル切ったのか?はすごく大事なポイントだと思うんだけど、この展覧会はそういうところがあえて削除されている気がしてならなかったんですね。
例えばマリー・クワントが一世を風靡して、その流れでのピーコートやパンツスーツ(タキシードシリーズ)だったとかね。
そこは置いておいて、服の博物館的なシンプルさに留めるという・・・。
そこにはメリットとデメリットがあって、是非そのデメリットを埋めるために、私は映画をお勧めしたいと思います。
「イブ・サンローラン」(2010年)・・・ピエール・ベルジュがサン・ローランを語るドキュメンタリー。
「イブ・サンローラン」(2014年)・・・伝記ドラマ。
「サン・ローラン」(2015年)・・・1967年からの10年間の伝記ドラマ。
(これだけ未視聴ですが、賛否両論のようです・・・)
この3つ目の映画も80年代に触れてないわけなんですが、ご存じの通り80年代ってそれまで以上にファッション界がえらいカオスな時代だったと思うわけです。
会場で80年代のゴージャスな羽のケープやヒョウ柄のドレスを見て、「美川憲一・・・小林幸子かな・・・」とキャッキャッと話しているおば様達がいましたが、全然いいんですよ!だって時代だったんだもの!
むしろサンローランでさえまとも組だった気がする位ですよね。
ゴルチエとか来るわけで。でもローランいなきゃきっと彼もいないでしょう。
9章アーティストへのオマージュはとても楽しい部屋でしたが、これももう少し解説がないと背景がわからんよねぇ・・・。
圧倒されたのは「バブーシュカ」ウェディングガウン。
しばらく見てたら来る人来る人「!!」「何これ・・・すご・・・」と絶句してました。
私もやはり60~70年代が好きですね。
女性へ男性のルックを持ち込んだだけじゃなく、男性用のトワレを出したり、ファッションをジェンダーレスにしていった人であることはもっと打ち出して良かった気もします。
しつこいようですが、次回は是非メンズの展覧会をお願いしたいです♡
鑑賞の機会を下さったアートアジェンダ運営様へ感謝です。
毎回会期ぎりぎりのレポートになり、劣等生で恐縮です。
実は映画に絡めてレポートしようと思っていましたが、他のアートサイトで全く同じ記事を見まして、悩みつつ変更しました。
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- Sukekiyo-Acckermanさん