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没後50年 福田平八郎

没後50年 福田平八郎

大阪中之島美術館|大阪府

開催期間:

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芸術家の眼力

 用事の開始時間を30分間違えて目的地に早く着きすぎたため、時間を潰そうと来る時に前を通った大阪中之島美術館へ入った。美術館ではモネ展と福田平八郎展が同時開催されていた。折角ノーマークで入ったので、それを貫き通そうと思い、全く知らなかった福田平八郎展の方を選んだ。
 全く知らない人だったため冒頭の説明文も真面目に読んだ。日本画で写実を試みた人らしい。日本画は筆で輪郭線を描き、それが丸っこいので温かみや可愛らしい印象を感じる。写実的な作品になるにつれて輪郭線が細くなっていく。しかし、「游鯉」はもったりした水の中に鯉が泳いでおり、輪郭線はぼやけていた。静物画はいかに細かく描き込みリアルさを目指していくか、という絵画だと思っていた。だが、実際のモノは光の中、空気の中、水の中に存在する。モノ単体ではなく、そういった空間の中のモノをどうやって写し取っていくのか、ということを、そのもったりした鯉たちを見て思った。
 近代になって写真が誕生し、写実主義に飽きたらない、絵画ならではの方法を模索するフォーヴィスム、キュビスムが生まれていったと理解していた。が、よく考えたら当時の写真は白黒で、対象物の色彩を写し取るという課題はまだ残っていたのである。福田が写し取った葉っぱや竹に混じる緑色以外の色彩を見てそれに気がついた。
 高畑勲監督がインタビューで、「なぜ実写ではなくアニメーションで表現するのか?」と尋ねられた時に、実写(映像)だと見流してしまうものをアニメーション(手描き)で描き起こすことによって、鑑賞者は注意して見るようになる、と答えていたけれど、わたしたちが見逃す葉のグラデーションや竹のグラデーションを芸術家の人々は見逃さなくてそれを教えてくれるのが、まさに高畑監督の言う通りだった。
 そして、水の表現。わたしたちが絵の具の青で塗る水面が、光の具合によって黒になったり白になったりする。その瞬間をどのように表現するか。抽象化されたように見える「漣」の波の表現。しかし、その線の連なりによって、わたしたちを水面と対峙した時のような沈思の世界に誘う絵画の力。リアルな水だから、本物の水のようだから心動かされるのではなく、水というものを捉えているから心が動かされるのだ。
 また、モノを2次元として切り取る写真に対して、福田の絵画は雪のふわふわ感、桃の産毛の毛羽立ちなどを画布に絵の具を塗り重ねて表現する。絵画は2次元の芸術だと思っていたが、3次元の芸術なのだと初めて気がついた。
 以上、全くの飛び込みで入った展覧会だったが、多くの発見があり良い出会いをすることができたと思う。一部絵画は撮影可能で、写真OKのところは全てパシパシ撮った。ありがたかった。展覧会が終わると出口で福田平八郎グッズを売っていた。マグネット、クリアファイル、ポストカード、ステッカー、キーホルダーなど盛り沢山で欲しかったけれど、肝心の用事の開始時間が迫っていたので泣く泣く帰ってきた。非常に残念だった。

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