レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才
東京都美術館|東京都
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エゴン・シーレ雑感
会期は終わったし巡回もないけど備忘録的に感想を書き留めておく。
今回のシーレ展、事前に読んだアートアジェンダのレビューがとても参考になった。
すなわち、展覧会タイトル通りのシーレ単独展というにはその出展比率が少なすぎということ。
知らずに行ったら怒り心頭に発すとこだったが、それを承知で行くことにした。
年に何度もない上京機会でもあるし、関連画家の作品も見ておきたかったし。
東京に着いて、セタビに遠征し、取って返して東京駅の佐伯祐三展に行き、その後に上野にやって来た。前日のニュースで東京の桜開花宣言やってたが、上野はまだ0.5分咲きってとこだ。
平日でもあったので公園内は空いてて、都美も混雑していない。15時からの予約チケットで入場した。
前半のフロアには、確かにシーレ作品なんてほとんどない。予告編的に数点が出てただけ。じゃあ、他の作家で印象に残ってるのがあるかというとそれもない。
これ書いてるのは訪館日から1か月近く経ってるのだが、それを抜きにしてもウイーン・モダンってやっぱり私の性にあってないようだ。
2階に上がればやっとシーレが続々と登場してくる。
不自然に曲がった手足や頭の人物画は、驚きか威嚇かギラツつく眼球でこちらを凝視してくる。加えて暗く濁った皮膚は、見る者の心をネガティブな世界へと誘い込む。
それは作者の内的世界なのか。外へと発する不安や怒りの顕われなのか。
従来の写実美に反旗を翻した世紀末絵画がこれなのか。当時の美術界を思えば衝撃的な作家ではあったに違いない。
メインビジュアル《ほおずきの実のある自画像》の前はひとだかりだった。
これがそんなに人を惹きつける絵だとは思わないが・・・
あとで自宅にある美術展訪問ファイルを見てみたら、過去にこの絵は見ていた。
それさえも忘れているのだから、シーレは私に爪痕を残す画家でもないのだろう。
だが、ハっとする作品もあった。
それは、《頭を下げてひざまずく女性》。クロッキーに着色したような殴り書きだ。
前かがみに膝をつく女性を背後から描いており、顔は見えないが姿態が妙にエロティックで、シーレのデッサン力が際立っているのがよくわかる。
そう。絵が上手いのだ。シーレは。
画学生だった17歳の時、クリムトにシーレは問うた。
「僕には才能がありますか?」
クリムトは「才能がある?それどころかありすぎる」と答える。
出会いというのは大事だ。シーレは褒めて伸びるタイプだったのだ。
会場でこのエピソードを読む2時間前に、ステーションギャラリーでは全く逆の例を読んだ。佐伯祐三がブラマンクに「このアカデミックめ」と一喝されたことだ。
佐伯はけなされて伸びるタイプだった。
シーレはスペイン風邪で28歳没、佐伯は結核で30歳で逝った。だが二人の最期は全く異なる。
佐伯は死を覚悟した上で絵描きに専念したが、シーレはまさか自分が死ぬとは思っていなかったろう。現役バリバリの若手画家がコロナで急逝したようなもんだから。
スペイン風邪で死んだ画家は日本にもいる。村山槐多だ。
槐多はシーレの死から4か月後に22歳で亡くなっている。その最期もまた突然だが、シーレと異なり画家としての経歴はまだ始まったばかりという時期だった。
シーレと二人の日本人を比べる形になってしまったが、言いたかったのはシーレは若くして成功し、女性遍歴も多彩で好き放題の画家人生を送ったのではないかということ。28歳で迎えた死ではあったが悔いはなかったろう。
不気味な絵も、それを愛する後世のファンは多い。幸せな画家だと思う。