2022年秋季特別展 千利休生誕500年 利休茶の湯の継承
野村美術館|京都府
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利休没後、茶の湯はどう展開したか…を学べる展示
この展覧会は、利休没後の茶の湯がどのように受け止められ、発展し変化したか、展示作品を通して理解することを目的としたものである。
本展覧会において、次の時代背景をおおまかな流れとする…と。
・16c 初頭、茶の湯成立。
・16c末「侘数寄」の理念が確立。
・17c 利休没後、古田織部(大胆なデザイン)、小堀遠州(秀歌にちなんだ銘を付け茶と和歌の関係を深める)、金森宗和(仁清を指導し華やかな焼き物を取入る)、片桐石州(将軍家との関係強め、大名や武家に相応しい茶の湯のあり方を提案)らの「茶匠」が出現し、人々に茶の湯を理解し、楽しんでもらうよう工夫を凝らす。
・遠州七窯:江戸末期から明治初期に使われ始めた言葉。「遠州の好みかくあれかし」と想いを込めて用いた。
志戸呂焼(静岡・遠江)、膳所焼(滋賀・近江)、朝日焼(京都・山城宇治)、赤膚焼(奈良・大和)、高取焼(福岡・筑前)、上野焼(福岡・豊前)古曽部焼(大阪・摂津)[遠州没後に開窯]。
・《茶杓 銘 道成寺》千宗旦作:茶杓の櫂先が烏帽子似か。
◉併設展:中国のやきもの
・平安時代末期から鎌倉時代初期
茶を飲むための器として「天目」(南宋時代・福建省 建窯で多く生産)が中国から持ち込まれる。
・16c初頭以降
中国の焼き物(唐物:青磁、染付、赤絵)が珍重。
・16c末「侘数寄」の理念が確立
茶道具の評価基準に変化し、朝鮮半島や日本産の焼き物を使用。
・明代末期から清代初頭
江西省景徳鎮の民窯製品(古染付、祥瑞)、福建省の漳州窯製品(呉洲)の磁器も用いられた。
◉呈茶席
お茶:「鶴の声」竹村玉翠園
お菓子:「光琳菊」末富