モダンクラフトクロニクル―京都国立近代美術館コレクションより―
京都国立近代美術館|京都府
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工芸の未来を想うための〈クロニクル〉
工芸をコレクションの主軸に据えている京都国立近代美術館。クロニクル=年代記というように、「モダンクラフトクロニクル」展は、館がそれら工芸コレクションを収集・展示・研究してきた歴史を振り返る展覧会になっている。展覧会の歴史や日本における工芸というジャンルが辿ってきた歴史。それらを京近美のコレクションで総覧できる贅沢な展覧会だといえる。ここでは個人的に印象に残った部分についてのみ、書き起こしておきたいと思う。
まず、なんとも嬉しいことに一階エントランスから展示(第1章)は始まっており、一部の展示は無料でも観覧できるようになっている。個人的にはこのスペースの展示が一番おもしろかった。ここでは京都国立近代美術館がこれまで開催してきた、国際的な表現動向を紹介する工芸を扱った展覧会を辿る展示が作り上げられていて、作品とともに過去の展覧会ポスターを見ることができるのが良かった。
ともすれば作品は将来に渡ってさまざまな文脈の展覧会で目にすることができるかもしれないが、ポスターなどの広報デザインに垣間見えるような、当時の問題意識や研究動向、はたまた制作背景など、ある種の時代の空気を感じさせるものとしての展覧会そのものは、過去のものとなってしまったら同じ形で再び現れることは二度とないだろう。出品作品と並置して観覧することで、京近美の工芸コレクションがより立体的な、生き生きしたものに感じられた。
コレクション展と同じ空間に展開される第7章には明治期の超絶技巧が並ぶ。同館の「明治150年展」でもお目にかかった作品たちが、実は近年になって再評価された工芸であるというのはなんとも衝撃的である。輸出目的のために「手わざ」を売り込むという歴史的背景がその所以だ。
芸術の世界では商業的背景が絡むとただちに作品としての価値に疑問が付されるが、それはこの美術館がこれまで積極的に取り組んできたファッションの展覧会にも通じるものだろう。
ただ自己表現の極地を目指すだけでなく、それを流通させるということが、言ってみれば工芸の特質のようにも思う。工芸というジャンルが用と美の間を揺れ動きながら独特な魅力を放ってきたのは、多様なかたちで境界を広げつつある世界に生きる私たちが、アンビヴァレントなものを受け入れざるをえない中で、そういった感覚を受けとめるジャンルとして機能してきたことを示しているのかもしれない。
あるいは工芸のその両義性は、より直截に「美」の観点に結びつけられやすい美術よりも、社会的な問題を反映させられるという部分ももしかするとあるのかもしれない(第2章「四耕会、走泥社からクレイ・ワーク、ファイバー・ワークへ」の作品にとくに顕著に見られる)。
全7章で構成される本展。私の知識不足もあってすべての章や作品を把握しきれなかったために、ここでは間を飛ばして最初と最後の章についてだけ思い起こして書いてみた。
鑑賞してもらえればわかることだが、工芸と一口に言っても多様な表現方法や形態が存在している。もっとも気になることは、工芸という言葉がはたしていつまでも「工芸」であり続けるのか?ということだ。工芸であることの意味はおそらくこれからも問い直されることだろうし、工芸としての存在意義や表現的価値も、現代~将来の芸術家によって更新されることが予測される(それが望ましいのかはわからない)。
工芸はどこへ向かっていくのか?そしてそれを京都国立近代美術館はどのように捉えていくことになるのだろうか?この展覧会を見れば、その行く先について思索してみたくなるに違いない。
本展には、つい最近京近美で開催された展覧会に出ていた作品なども展示されている。もしそれらを鑑賞したということであれば、それらが工芸の歴史の中で、あるいは同館の歴史の中でどのように位置づけられるのかが分かる展覧会になっているのではないかと思う。大規模な特別展もよいが、その美術館と作品の歩んできた歴史=クロニクルを、ゆったりと一同に見られる機会もまたよいものではないだろうか。
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