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美術手帖2025年4月号「特集ヒルマ・アフ・クリント」より

「アフ・クリントがルドルフ・シュタイナーに出会ったのは1908年のこと。自身のアトリエに招き、当時すでに完成していた「神殿のための絵画」シリーズを見せたが、シュタイナーは画家が霊媒的な手法に頼っていると見なし、一部の作品への評価を除いて否定的な意見を述べた。」

「1920年にはシュタイナーに再び会うためにスイス・ドルナッハのゲーテアヌムを訪問。これを機に、人智学とゲーテの色彩理論の研究に着手している。」

中島水緒


「霊的存在との共同作業として絵画制作に従事していた彼女の作品が、心霊主義や(スピリチュアリズム)やオカルト思想との関連を持つことが、その評価を阻んできたことは確かだろう。ほかにも要因がある。クリントは、自分の死後20年は作品を公開してはならないと言い残していた。」

沢山遼


「アフ・クリントの作品群が表向き、抽象絵画に見えたとしても、彼女がそれを、抽象画家と認められている人たちの形成する集団と無関係に、一切交流を持たずに制作し、またそれらの集団に発表する意志を持たなかった以上、彼女の作品は美術史的(!?)には抽象絵画とは見なせないといった議論までなされてきました。つまり、美術史的に認められている抽象絵画のパラダイムというのは、特定の集団、人間関係を成り立たせていた世俗的な規範、暗黙に共有された通念にすぎなかったことになります。」

岡崎乾二郎


「ベルリンではポストコロニアルの文脈を必ず求められます。ロダンとか言っても駄目でしたね。威厳のあるものからリファレンスを引っ張ってくること自体が嫌厭される肌感覚があります。日本が西洋近代を輸入する過程で、美術制度に歪みや独自性が生まれたんですよ、という説明は、あまり価値を見出してもらえない。京都市立芸大で培われた考え方とかオチのつけ方のほとんどが役に立たなかった。」

谷中祐輔インタビューより


美術手帖2025年4月号「特集ヒルマ・アフ・クリント」より

https://bookmeter.com/books/9566910


プロフィール

松山賢
岩手県御所野遺跡近くで生まれる。
湯舟沢遺跡すぐ横で育つ。
横浜市三殿台遺跡そばに在住。
京都で日本画制作を経て、
土器、人形、彫刻をつくりはじめる。
最近は油彩画、野焼きの陶彫を制作、発表している。
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