ART BLOGS

アートブログ

吉田亮編著「列島の日本美術史 知られざる美の交錯」より

「維新後1869年頃、義松は本格的な修行をつむため、横浜へ移住する。1872年頃には居留地の中心部から離れた南太田に、母や妹、そして弟子らと暮らしたことが回想や作品から判明する。」

「彼の生涯を決定付けるのが、1880年の渡仏である。現地で最新の技術や知見を学習する目的の「留学」ではなく、現地の画壇での成功が最大の目的だった。」

「義松は渡仏時点で国内最高の洋画家であり、相当の収入もあった。その資金をもって渡仏し、最初の一年間は生活のための制作もなく、さほど苦労した様子は認められない。」

「1887年、パリでの生活に限界がきたためか渡英、ロンドンへ移り、心機一転を図る。」

「その年末にはアメリカ人パトロンを頼って渡米。」

「帰国したのもつかの間、1890年、老齢の初代芳柳とともに渡米。」

角田拓朗「第8章 五姓田義松(1855〜1915)ー旅する画家」より

吉田亮編著「列島の日本美術史 知られざる美の交錯」より


https://bookmeter.com/books/22453878


プロフィール

松山賢
岩手県御所野遺跡近くで生まれる。
湯舟沢遺跡すぐ横で育つ。
横浜市三殿台遺跡そばに在住。
京都で日本画制作を経て、
土器、人形、彫刻をつくりはじめる。
最近は油彩画、野焼きの陶彫を制作、発表している。
通報する

この記事やコメントに問題点がありましたら、お知らせください。

こちらの機能は、会員登録(無料)後にご利用いただけます。

会員登録はこちらから
SIGN UP
ログインはこちらから
SIGN IN

※あなたの美術館鑑賞をアートアジェンダがサポートいたします。
詳しくはこちら

CLOSE

こちらの機能は、会員登録(無料)後にご利用いただけます。

会員登録はこちらから
SIGN UP
ログインはこちらから
SIGN IN

ログインせずに「いいね(THANKS!)」する場合は こちら

CLOSE
CLOSE
いいね!をクリックしたユーザー 一覧
CLOSE