1.0
書くのもつらい。
結論から言うとかなり怒ってます。仏教的に言うとこういうものに縁してしまう自分に腹が立つということです。だから嫌々ですがご縁ですから書きます。
まず4階が部屋のような展示になっていて、中央に座りながらスライドショーを見られるようになってます。そのスライドショーは向かって左=仙厓の「〇△□」、中央=マレーヴィチの「黒の十字」、右=大拙「△□不異〇」です。大拙の作品の解説に「三角は形態の始まり。二つ重なることで個物が生まれる。現象の世界。「色」は丸によって体現される無限の世界。「空」と異なることはない。」とあった。まずこの時点で意味不明です。いくら仏教や哲学が難しくても読んだ人に理解を促すために解説はあるはずです。しかしこういうこともあるだろうね、ともやもやする気持ちで次へ行きました。と、学芸員さんが解説してる映像があったので見てみました。「つまり〇から生まれた△が□になっていくんですよ」みたいなこと仰ってました。それって解説と順序逆じゃん?じゃなんでそう書かないんですかね?? 例えば大拙が「○は無なんです、そこが始まりです」と断定してる証拠があったとしても(だからそう言ってるんでしょけど)、その映像の様子と解説のお陰で完全に眉唾になりました。
で、見進めて行ってもどうもいやな感じがする。この感覚は何だろう・・・?と思って見てたんですけど、一つには作品が汚れているから愛情持って丁寧に扱われてる感じがしないからかなって。で、もう出ようと思って4階のトイレに入ったら滅茶苦茶汚い。「これだっ!」て思いましたね。普通修行で寺行って何させられるって掃除させられるんだよ!禅寺なんて数ある宗派の中でも一番厳しいところじゃん。そりゃこんなんで説得力なんてあるわけないよ。大拙持ってるなら持ってるで、それに相応しい行いしてほしいし、仏教語っていいかどうかの、最低限の品格ってあるんですよ。解説どころか、座禅にもまだ早いです。いくらお勉強できても意味ありません。
寺のお坊さんて話上手いですよね。頑張って仏の道に近づこうとして道中得たものを、人へ分け与えていくのが布教です。美術館のような場所で仏教という風呂敷を広げるときは解説にも同じことが言えると思います。わかりやすく話をしようと努めるのも仕事です。仏の道と人の道の板挟みになることもあるでしょうし、腐心することも多… Read More