梅棹忠夫生誕100年記念企画展
「知的生産のフロンティア」

国立民族学博物館

  • 開催期間:2020年9月3日(木)~2020年12月1日(火)
  • クリップ数:8 件
  • 感想・評価:3 件
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-1
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梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-5
モンゴルのフィールドノート(写真撮影 尼川匡志) 国立民族学博物館(所蔵)
アフガニスタンからインドへの道中で作成されたローマ字原稿 国立民族学博物館(所蔵)
ビルマ独立記念祭での民族衣装(1961年 写真撮影 梅棹忠夫) 国立民族学博物館(所蔵)
「知的生産の技術」のための「こざね」(写真撮影 尼川匡志) 国立民族学博物館(所蔵)
フィールドノートから内容別に転記したローマ字カード(写真撮影 尼川匡志) 国立民族学博物館(所蔵)
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-1
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-1
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-1
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-1
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」 国立民族学博物館-1

この展覧会についてABOUT THIS EXHIBITION

みんぱく初代館長を務めた梅棹忠夫(うめさおただお 1920-2010)は、多数の学術調査に参加した知の先覚者です。

彼は、調査成果を論文などにまとめる方法を『知的生産の技術』(1969年)で述べましたが、具体的に資料を加工する過程は示しませんでした。

この企画展では、梅棹のアーカイブズ資料とデジタル・データベースで彼の方法の舞台裏を紹介します。

◆梅棹忠夫 (うめさお ただお) 1920-2010
1920年京都市うまれ。民族学者、比較文明学者。京都帝国大学理学部卒業、理学博士。大学では主として動物学を専攻したが、内モンゴルの学術調査を通じて民族学に転じ、アフガニスタン、東南アジア、東アフリカ、ヨーロッパなどでフィールド・ワークを精力的におこなう。1957年の「文明の生態史観」では、西欧文明と日本文明は、ほぼ同じあゆみで進化したという「平行進化説」をうちだす。

1949年から65年まで大阪市立大学理工学部助教授、1965年から69年まで京都大学人文科学研究所助教授、1969年から74年まで同教授。国立民族学博物館の創設に尽力し、1974年から93年まで初代館長、退官後は同館顧問、名誉教授となる。総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。1988年に朝日賞を受賞。1991年に文化功労者。1994年に文化勲章、1999年勲一等瑞宝章を受章。2010年没。

開催概要EVENT DETAILS

会期 2020年9月3日(木)~2020年12月1日(火)
  • ※2020年10月20日(火)から12月1日(火)までに会期が延長になりました。
会場 国立民族学博物館 Google Map
展示室国立民族学博物館 本館企画展示場
住所 大阪府吹田市千里万博公園10-1
時間 10:00~17:00 (最終入場時間 16:30)
休館日 水曜日 
観覧料 一般 580円(490円)
大学生 250円(200円)
高校生以下 無料
  • ※( )は20名以上の団体料金/リピーターは団体料金を適用
    ※本館展示も観覧できます
TEL06-6876-2151 (代表)
URLhttps://www.minpaku.ac.jp

国立民族学博物館の情報はこちらMUSEUM INFORMATION

国立民族学博物館 国立民族学博物館

感想・評価 | 鑑賞レポートREVIEWS

4.0

中高生に是非知ってほしい!梅棹忠夫は、まさに「知の先覚者」。

会期は12月1日まで延長されています。
「知的生産の技術」はいかにして生まれたのか。
私が見学しているときに、ちょうど取材の方が担当研究員の方の説明を受けておられ、「一緒にどうぞ」と言って頂き、展示について、梅棹忠夫先生について詳しく伺うことができとてもラッキーでした。
コンピュータのない時代に、梅棹先生の整理、分類はまさにコンピュータのデータ処理そのものです。「明日の自分は他人」自分がとったメモ「はて?」何のことを書いたのかと思うことしばしばです。メモを残すときは誰が見ても分かる「文字」で「文」で書き残す。フィールドでのメモをカードにローマ字タイプで書き写し、インデックスを作成し、膨大な資料を紐づけしている。梅棹先生は「データ」の蓄積でした。60を超えて突然失明するも、それからは毎年本を口述筆記で出版する、それまでのデータの蓄積のアウトプットに費やしました。それまで蓄積された資料類の完璧な整理で全く困ることはなかったそうです。今ならPCで検索かけることを50年以上前にやってのけている。
とにかくすべて残す、例えば、手紙なら届いたものだけでなく自分が出した手紙も残っていることに驚きです。当時、フィールドワークに出れば、調査員は自分で記録を書き、絵も描く。字のみならず、絵を描くのも上手い!
驚異の 記録魔、収集魔、整理魔、分類魔 です。先々自分に関してこのような企画展示があることを予測していたように。
膨大な梅棹資料をコンピューターに取り込み整理するようになったのは梅棹先生の死後、ここ10年だそうでまだ十分ではなく、まだまだAIの活躍の余地あり、やがては「梅棹忠夫資料」としてビッグデータとなるでしょう。
「発想」と「構築」、学生さんたちに是非是非見てほしい、知ってほしい「知の先覚者」の企画展です。

THANKS!をクリックしたユーザー
シンディさん

5.0

チケットをもらったので鑑賞してきました。

フィールドノートなどの各種資料で特に印象的なのは、スケッチの正確さと、なにより文字の綺麗さでした。

各種記録ノートがここまで量産できて、かつ、資料として機能したのは文字とスケッチの巧さも大きく寄与していると感じました。
明日の自分のために書いたと説明されているのも納得です。確かにこれなら忘れても大丈夫そうだ。

フィールドノートを見返しやすくするため、コンピュータもない時代からローマ字カードにアーカイブ化する発想に、知的生産の技術を書いた著者としての片鱗を感じました。
この方が今の時代に現役バリバリなら情報学でどういう業績を残したのだろうかと想像したくなります。

THANKS!をクリックしたユーザー
morinousagisanさん

4.0

為になりました

チケットを頂き早速でかけました。梅棹先生のカードは有名でしたが、そもそもインデックスノートから始まっていたということは初めて知りました。
ノートに几帳面に書かれているのをみて、あれほど熱心にされていたら、目の病気を患われることもあるだろう、と思いました。
ノートの次に、カードに移りローマ字で書かれることになったという事。
今ならば、パソコンを上手に使われていたとことだろうと思います。
ていねいに調べて、考えて論理的に組み立てる、そして、未来を描くという
簡単そうで、難しいことをされていたのだと、思いました。
一度、講演会に行けばよかったと感じました。


THANKS!をクリックしたユーザー
morinousagisanさん

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モンゴルのフィールドノート(写真撮影 尼川匡志) 国立民族学博物館(所蔵)

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ビルマ独立記念祭での民族衣装(1961年 写真撮影 梅棹忠夫) 国立民族学博物館(所蔵)

「知的生産の技術」のための「こざね」(写真撮影 尼川匡志) 国立民族学博物館(所蔵)

フィールドノートから内容別に転記したローマ字カード(写真撮影 尼川匡志) 国立民族学博物館(所蔵)

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