没後100年 富岡鉄斎
京都国立近代美術館|京都府
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書いて描く最後の超人
2024春の関西遠征は京近の鉄斎展からスタート。平日の午前10時半ごろに入場すれば特に混んでもいないし快適だった。
お客さんは平均年齢70歳代ってとこか。最近は老いも若きもって展覧会が多いけど、さすがに鉄斎はあんまり若者受けしないのかな。
実際に作品を見たら、なるほどそうかもしれんなあと思った。文人画なるジャンルの絵画は、画賛と対になって成立してるんだなとつくづく感じたからだ。
鉄斎も「まず賛から読んでくれ」と言ったそう。
賛は画面の右上や左上にあって、漢詩である。中国の詩人の作もあれば、鉄斎の自作もある。で、その文意は皆目見当もつかない。
高校時代、漢文の試験の解答に「チンプン漢文」と書いたやつが先生に大目玉食らったのを思い出した(笑)
明治時代ぐらいまでの教養人は、この賛をスラスラ読めて意味もわかったのかもしれないが多くの現代人には無理だ。
まあなんとなく、絵があって漢文があれば、漢字一文字一文字の雰囲気から詩の意味をうっすらと感じられるかなあってとこまでだろう。
鉄斎は学者だ。絵描きよりもまず先に文学者であって、詩作に余業の絵を添えたと言えるのではないか。
まさに本来の意味での自画自賛を我々は目にすることができるということだ。
鉄斎先生の教え通りに賛から読んで意を解することができれば言うことないのだが、それは無理。
でも画はわかる。しかもそれが他の追随を許さない南画の傑作であることが。
当展は、作品の展示時期で4期に分かれており、私が行ったのは第2期。
目玉は大作の《富士山図》。六曲一双の屏風絵で右隻に雄大な富士全景と賛、左隻に山頂火口部と篆字による画題が描かれている。
メインビジュアルなので、ああこれかとおわかりいただける絵だが、現物見るとその桁違いな迫力に圧倒される。
北斎の赤富士や大観の青富士に対して黒富士とでも呼べる右隻は、裾野の樹海から山頂まで黒一色、真夏の富士山の雄々しさをダイナミックに描き上げている。
線状に棚引く白雲が好アクセントとなり、それを見下ろして登山道が山頂へ続く。
面白いのは宝永山。山肌から直角にせり出した絶壁状に誇張して描いているのは、想像画じゃなくて写実なんだと鉄斎が主張しているかのようだ。
左隻の火口図は、一転して地獄の釜のようなおどろおどろしさがただよう。
右隻の美しい富士山も、ズームインすると実はこうなのだという対比の面白さ、そしてそれに挑む巡礼登山者たちの矮小さ、滑稽さ。
画力もさることながら鉄斎のユーモアみたいなものも感じられる大傑作だ。
大型屏風絵はもう1作、《青緑山水図》があって、こちらは南画によくある仙境画風作品。
それでも岩山や渓流や樹木が画面を所狭しとうねりまくる様は、鉄斎様式とも言える独特の世界観だ。
第1期には《阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門陰栖図》という重文の大作が出てたのだが残念ながら展示期間は終わってた。
第3期~4期には《妙義山図・瀞八丁図》という名品が出てくるので1~2期に行けなくても大丈夫でしょう。
軸装画はどれもが「渋いなあ」って感じの作品ばかりで、強烈なオーラやインパクトで電撃食らうなんてことはない。
それでも、キャプションの解説は丁寧なのでそれと合わせて鑑賞すれば、鉄斎の味がしみじみとわかってくる。
夫人が伊予松山の三津浜出身だそうで、そのつながりで描いた《三津浜漁市図》や《鮮魚図》なんかは、山水画以外の鉄斎画として親しみやすかった。
それからもうひとつ、《勾白字詩七絶》。これはいわば「絵文字」。七言絶句の文字を縁だけ書いて中に人や草花や虫を描き入れたPOPアートだ。
何より色使いが多彩でいい。たぶんいちばん若者受けするのはこれじゃないかなあ。
富岡鉄斎の作品はいろんな美術館、博物館、展覧会でよく見ることができるので多作な人だったんだと思う。しかしそこに駄作はない。
没後100年の今年、当展の他にも複数の美術館で独自の回顧展が開かれるので見比べてみるのもいいだろう。
そして、見る者は痛切に感じるに違いない。詩、書、画すべてものすることがいかに難しいかを。
それをやってみせたのは鉄斎が「最後」だということを。
当展に出品された展示品をお貸しくださった中でその数から目を引くのは、清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)さんと辰馬考古資料館さん。
私は両館とも未訪問です。
前者は宝塚市にある真言宗系のお寺で、阪急宝塚線清荒神駅から参道を上って行ったとこにあります。37代法主さんと鉄斎との交友から作品収集が始まり38代法主さんが1975年に寺に併設して美術館開設されたとのこと。
美術館は本館が長期閉鎖中で別館の史料館で年2回の企画展を開催されてます。現在は「没後100年 鉄斎の九十歳落款」を開催中です。
89歳で他界した鉄斎がなぜ90歳の落款を入れたのか。京近の鉄斎展でもわかります。
後者の辰馬さんは、西宮市にある白鷹酒造さんの三代目が造った美術博物館で、場所は阪神香櫨園駅から徒歩すぐです。
初代が鉄斎と親交あって作品が集められ、毎年春に鉄斎展、秋には考古物展を長年にわたって開催しておられました。
大谷記念美術館に出かけた際は、辰馬さんにもついでに行こうと思ってるうちに今年から建て替え工事に入ってしまいました。
再開館は2028年だそうです。
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