
特別展 雪舟伝説 ―「画聖」の誕生―
京都国立博物館|京都府
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やはり今一つ(雪舟はいつ伝説でなくなるのだろうか)
雪舟没後500年余り、この間に「雪舟が何をどう表現しようとしたのか」を理解出来た人物は、雪舟の弟子筋から始め現在の専門研究者らまでも含めてほぼ皆無であるからには、「雪舟の後世への影響」などと言って展覧会を開いてみても、ただ単に図像を似せて描いたとかの全くの表面的な指摘に終始するしかないのではなかろうか。
そして講演会のテーマでもある「なぜ雪舟は画聖となったのか」などということも、雪舟の本質と真の価値が不明であり、従ってその「画聖性」の意義が講師にも誰にも客観的に認識出来ていない状況下で、そのようなことを議論してみても、何の意味があるというのだろうか。
今回の「雪舟伝説」展は、そうしたことからも、これでは単なる浅薄な「漠然とした伝説の展示」にしかならないだろうとは思っていたが、実際に出かけて行ってみたところ予想通りであった。
しかしそれにしても、20年余り前の「雪舟没後500年展」から、雪舟研究が本質的な部分ではほとんど進歩していないように見えるのはちょっと驚きでもある。相も変らず反精神主義的で実証主義だとかのバイアス研究が跋扈し、それではダメなのではないかということに誰も気付こうともしない、このおかしな風潮。
よっていっそのこと、このような曖昧かつ中途半端な展覧会にするよりも、ドンと開き直って正攻法にズバリ、「雪舟の謎・展」と銘打ち、「何故雪舟の本質が没後500年余りに渡って理解されないままなのか? その原因と弊害を探る」とでもした方が、より有意義で充実しインパクトの強いものとなったのではないか。
ざっと今の日本美術史を見渡してみて、まず何よりも早急になされるべきことの一つは「雪舟の本質の見極め」であって、それなくしては今後どのような雪舟展が開かれようが空疎なものにしか成り得ず、またその室町水墨の系譜を基盤とする日本美術史の確かな骨格が形成されることもないであろう。
現状のこのままではおそらく100年後にも大した変化は期待出来ず、美術史家らは一体いつまで雪舟の本質とその後世への真の影響を詳らかにしようとせずに「伝説」としてそのまま放置しておくつもりなのだろうか。
そして例外的に雪舟の絵画的造形言語をある程度正しく理解し、その影響を「本格的に」受けた画家がいて、それがかの等伯・若冲・蕭白であったという洞察に至り、この三者を中心に宗達・光琳も含めた江戸絵画全般をも室町水墨の伝統の下に再考するようになるのは、いつになるのだろうということである。
雪舟が如拙「瓢鮎図」のコンセプトを参考に、そこへ自らの思想性も加味して日本で本格的に始めた「宗教思想性の絵画構造化表現」の心的影響は、よりくだけた感じでは光琳の2つの国宝画にまでさえも及んでいる。
そして後代の画家らにそのように受け継がれた、その方法論の創始者に対する半ば漠然とした敬意が、実は「画聖性」の正体であって、では雪舟自身は元々それをどのように具現化していたのかということ、一般には未だ不分明であるがゆえに伝説化してしまっている、正にそこにこそ雪舟の本質があるのである。
ところで今回の展覧会を見て、その「雪舟は結局何をどう表現しようとしたのか?」ということについて疑問に思われた方はどの位いるのだろうか。ここに投稿された他の人のコメントを見ても、おそらくはこの点についてハッキリと意識的である人は、ほとんどいないのではなかろうか。
どう見ても明らかに「雪舟は何かメンタルなことの独自な表現を秘かに意図したはず」なのに、このことには肝心の第一線の雪舟研究者らまでが全く無関心で、「雪舟に精神性などない、あるならどこにあるのか教えてほしいものだ」と断言をし、さらには「雪舟はスパイだった、乱暴でいい加減で、自己顕示欲が旺盛だった」などの偏頗な主張までしたために、それをまた多くの人が「本当の雪舟」としても、6件の国宝の根拠としても半ば信じ込まされている現状に、「さすがにこれはどこか変ではないのか?」と感じる人がいても良さそうなのだが、ほとんどいないというのも不可思議なことではある。
つまりは、では現在の国宝はいったい何故国宝なのか、誰もまともには説明できないという矛盾したことにもなっているわけだが、それでもずっと以前はまだそれなりに「雪舟とは結局何者なのか?」ということが多くの人々の念頭にあり、知識人らを中心に盛んに議論もされたものなのである。
しかしそれがあまりに難しい問題ゆえか未解明なままに、そこにまた戦後からずっと続く社会の「精神主義忌避」の風潮のもと、前述のような美術史家らの有象無象の的外れな反精神主義的主張も加わって現在に至り、言わば考究の正道を見失いウニャムニャとなった混沌の「無自覚の諦め状態」が雪舟鑑賞世界を支配してしまっているのだということ。
もちろんそうなる理由は他にも諸々あるとしても、とにかく現状は、こうした一つの閉塞状況に社会がいつの間にか嵌まり込んでしまっているということを、もう少し美術ファンの人々が客観的に理解しておく必要があるのではなかろうか。
繰り返すが、もしそのようにいつまでも雪舟が等閑にされたままならば、未だに全く知られていない日本美術史最大の謎の一つ「雪舟の真実」は半永久的に謎のままとなってしまうのは確実なことと言えようし、また若冲が「動植綵絵の本質は千年経たねば理解されぬだろう」と遺した謎の言葉も、その理解の一つの前提となる雪舟の本質が不分明では、正にその言葉通りになるやも知れず、さらには等伯が「松林図」に描き込んだ、絵のメインテーマにも関わる隠し図像に誰もが気付くことなく、光琳がその国宝画に秘かに込めた精緻な作意についても同様なのである。
そして現在、日本美術の重要な特質の一つとして「余白の美」ということが、事あるごとに喧伝されていたりするわけだが、雪舟以来の室町美術の正統には、そのような「余った白」などはどこにもなく、従って等伯「松林図」にもないにも拘わらず、「松林図と言えば余白の美」という、そうした日本美術への諸々の根本的誤解もいつまでもまことしやかに続いてしまうこととなるであろう。
(もっと詳しく述べれば「松林図」は、日本古来の優美な風土と「カミ」の感覚に根差す一種の空莫たる叙情性をベースに、牧谿の永遠なる仏教的慈愛という精神性への憧憬と、時とともに移ろう松の木々に暗喩された自らの宿命的家族愛とを、画中央の白い深奥において融合し昇華させようとしたものであること。そしてそれは基本的には雪舟と同じ「メタ次元的理念化の美」の、更なるこなれた発展的表現となっていて、実にそこにこそ等伯が自称した「自雪舟五代」という自負の謂いがあるのである。
一方文字通りの「余白の美」の方は、室町美術の核心を形骸化させて来た狩野派の、特に探幽辺りから本格的に見られ始めるもので、そこには平和な時代の文化の大衆化による「精神性の装飾的ブランド化」ということが大きく関わっており、またそれが雪舟の画聖化をより促進させることにもなったということ。)
さて最後に話はちょっと逸れるのだが、こうしたことと似た状況がヨーロッパのフランスにもまたあって、それはかの西洋近代絵画の父セザンヌの全貌が雪舟同様に未だ明らかとなっていないということである。そして実はセザンヌも雪舟とは大変よく似たメタ次元的宗教哲学絵画としての本質を有しており、ただセザンヌではその上さらに色彩の問題が中核に関わることで、考察が格段に難しくなっているという違いがある。
それでもセザンヌの場合、それが近・現代美術や思想にまで影響を及ぼしたという明確な問題意識の下、今なお世界的に日本の研究者らまでをも巻き込んで喧々諤々の究明がなされ続けているわけだが、しかしそれにつけても、この本質追及における彼我の差は一体どうしたことだろう。
日本ではそうした根本問題の存在の自覚さえ薄く、増してや雪舟にもセザンヌ同様に後世への決定的な本質的影響があるというのに、ごく表層的なところの繋がりだけを眺めて「伝説!」の一言で終わらせてしまう・・・。
(それにそもそも日本の西洋近代美術史研究者らも、セザンヌより遥か400年も先に、既にそうしたセザンヌとの共通テーマを有していた肝心の自国の大画家の方は捨て置いて、何故セザンヌなのだろうか・・・?)
それと展示方法についても少々。
展示は当然影響関係にある作品を相互に並べてあるのかと思いきや、雪舟の主要作品のみを3Fにまとめてしまったために、それらの比較の必要から3~1Fを何度も行ったり来たりし、その度にまた行列という余計な疲労を強いられることとなったのはいただけない。
それは例えば、雪舟の「鶴」の図像が雲谷等益~若冲という流れでマネして描かれたということなども、その三作が並置されていれば、キャプションにある説明が容易には納得し得ないといった細かなことにすぐに気付くことが可能なのである。
企画担当者は、その影響の流れを統一的に整然と示したかったのかもしれぬが、しかし今回の展覧会は雪舟の本質的なことの影響関係の紹介には全くなっていないのだからして、どう作品を並べようと大した問題ではないと言ってしまえば、それまでのことではある。
今回は「入り」が今一つで、当初期待したほどでもないというのもおそらく主催者側のホンネだろうとして、その原因は以上のような諸点にもあるのではないか。つまり一言でいえば、焦点がぼやけて鋭い切込みといった新味も感じられずに、展示も良い意味での雑然さが不足気味で、評判が評判を呼ぶことにはならなかったというところにあろうとも思われた。
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