
永田コレクションの全貌公開〈一章〉 北斎-「春朗期」「宗理期」編
島根県立美術館|島根県
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北斎青春編
島根県立美術館が誇る北斎コレクション企画展がついに開催だ。
「ついに」と書いたのは、このコレクションが当館に寄贈されて以来、一刻も早くまとめて公開されるのを待ち望んでいたから。
寄贈者は永田生慈氏。国内北斎研究&コレクターの第一人者で、太田記念美術館副館長まで務めたかただが、残念ながら2018年に亡くなった。
氏は津和野町出身で、地元に北斎美術館を開設されていたのだが、その美術館をたたみ、膨大な北斎コレクションは県外不出を条件に、2017年に島根県立美術館に寄贈された。
津和野の北斎館はそのうち行こうと思ってるうちに閉館してしまい痛恨の思いでいたが、県美所有なら一挙公開も時間の問題だと思っていた。
そこに降ってわいたコロナ禍。順調に進んでた島根県美の北斎展開催計画も延期を余儀なくされたのだろう。
前置き長くなったが、満を持しての永田北斎展。それも北斎青年期に特化した作品展ときた。なるほど、永田コレクションてのはその時期だけで展覧会開けるほどのものなのか。こりゃ楽しみだ。
ただ、うちから松江は遠いので行くかどうかの決断ハードルは高い。
それでもやはり北斎の魅力には勝てなかった。2023年2月天皇誕生日、関西遠征の往路を山陰回りで行くことにし、新山口駅発のスーパー隠岐に乗り込んだ。
ディーゼルカー特急は速いのか遅いのかよくわからん列車だが、なんとか3時間半かけて松江駅着。駅からの路線バスはちょうど出たあとだったので、徒歩15分で到着。島根県美はおよそ7年ぶり2回目だ。
そそくさと入場料を常設展と込みで買って会場へ。
いきなり掲げてあるのが、娘の応為が門人に宛てて書いた卍の死亡通知だ。
そこから始めるってか。なんてカッコいいプロローグだろう。
北斎の死から過去へとさかのぼる順番で解説パネルが通路に並び、作品展示室に入るとそこが勝川春朗期という粋な構成だ。
春朗とは北斎が最初に用いた号。勝川春章に弟子入りし若干20歳で絵師デビュー、35歳までの習作に励んだ時期が春朗期だ。
習作といっても、並んでる作品見たらそんな感じはしない。最初期の1780年代ごろの作品からしてすでに、著名作家に伍して引けを取らない腕前だ。
美人画、役者絵、風景画、仏画、等々手がけたジャンルも幅広く、その点ではガムシャラに描きまくってた感はある。そしてそこにはハっとするような画期的な絵もあったりする。
《新版浮絵両国喬夕涼花火見物之図》がそう。西洋の遠近法取り入れた「浮絵」と呼ばれる技法で、隅田川花火大会の賑わいを実に見事に描き切っている。
春朗期の肉筆画は希少で、当展では二作品が出ていた。
一つは《婦女風俗図》。7人の女性を描いた二幅の軸絵だ。
30代半ばの作品だそうで、もはやこの時点で美人画達人の域に達している。
そしてもう一作の肉筆画が《鍾馗図》。これも婦女図と同時期の作品で、春朗期唯一の落款付き肉筆画だそう。
朱で豪快に描いた鍾馗が、膝まづく鬼をむんずとひっ捕まえて、顔を真上に向けさせ、口に垂直に剣を突き刺す構図がもの凄い。
「画狂」の片鱗はすでに三十路で芽生えていたようだ。
35~45歳が、俵屋宗理を名乗った宗理期。
「俵屋」と言うからには琳派に傾倒したのかというとそうじゃない。この時期は狂歌摺物、挿絵、肉筆美人画などが中心で、解説には「温雅で抒情性漂う表現で世評を得」とある。
全体的には地味な画風だが、《人を待つ美人図》の片膝立てて後ろに手をついて座るポーズや、《大仏詣図》の斬新な構図は流石北斎と唸らせてくれる。
遠近法にも磨きがかかり、「阿蘭陀画鏡 江戸八景」での上野不忍池や高輪海岸なんかは西洋銅版画を思わせる。
宗理期に描いた作品で当展随一の目玉は「津和野藩伝来摺物」だ。
全144点を会期を4期に分けて公開。保存状態良好な貴重な北斎摺物の世界が広がる。
北斎には珍しい大首絵《巳待の御札》は、色もよく残っており美人画としても秀逸だ。
宗理期の後半は、宗理改め「北斎辰政」、さらには「画狂人北斎」の号を使い始めるが、宗理期はあくまで35歳~45歳の10年間。春朗期と合わせてデビューからの若き北斎作品を集中的に見られる貴重な展覧会だった。
永田コレクション展示は、この後2024年に第二章「葛飾北斎期・戴斗期」、2026年に第三章「為一期・画狂老人卍期」と続くんだそう。
島根県美渾身の企画展は足掛け4年を要する壮大なスケジュール。
宍道湖畔の素敵な美術館は、浮世絵も洋画も工芸も写真も優品揃えてあなたを待ってます。