杉浦非水 時代をひらくデザイン
福岡県立美術館|福岡県
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モダンであって新しい、かわいい、けれどカッコいい
杉浦非水は、明治9年生まれで、三越呉服店(初代図案部主任として百貨店開店時以来ポスターデザインを一任されていた)やカルピスの商業広告デザインを担当して、図案の地位を定着させた図案家、日本初のグラフィックデザイナー。今回の展覧会は、300点にのぼる初の大回顧展。展示作品は幅広く、学生時代に芸大で日本画を描いていた時代から、戦後に多摩美大創設に尽力した時代までを網羅している。多くの地域を巡回してきたが、福岡県美の展示は、レトロ感を感じるには最適と言えるかもしれない。同県美は、展示会場のライトに黄色味の強い管球を多用しているからである。なお、福岡展は会期途中に展示替えがあるが、私は前期を観た。私が観た土曜日昼過ぎは、9割が女性客。
展示は、おおむね4部ないし6部構成で、①図案に傾倒していく時代の作品、②三越呉服店のポスター、書籍雑誌の装丁など初期の作品、③図案集出版を支えた自然への興味をあらわす写真・白黒動画作品、④ヨーロッパ遊学時代の作品、⑤帰国後の作品、⑥三越嘱託退社後の作品、以上の構成に整理されている。ただ、④から⑥は、展示会場では第4章としてひとつにまとめられている。かなり大規模な回顧展になっているのは、展示作品の半数以上を、彼の出身地松山の愛媛県立美術館が保有しているためであろう。非水の一生の画業を辿ることが容易に出来るのは、この愛媛コレクションの役割が大きい。
展示各章の冒頭に、その章の意図や、画業全体の中での位置付けが比較的明快に示されていて好感が持てる。ただ、ヨーロッパ遊学の前後で、和洋折衷のレトロ風から、シャープで大胆な作風に変化したとの分析が、第4章冒頭の説明に示されていたけれども、それほど作風が変わったとの実感は持てなかった。パッケージの展示巡回なので、福岡県美の学芸員の方の分析ではないだろうが、むしろ、作風の変化とする理由を説明してほしかった気がする。作風の変化は、非水だけのものではないかもしれないからである。例えば、竹久夢二風の装飾的なかわいい印象のアール・ヌーヴォー風デザイン画から、旧ソ連等共産圏のプロパガンダ・ポスターの直線的描き方への流行の変化は、そもそもが時代全体の流れで、非水は、遊学以前から気づいていたかもしれない。あるいは、作風の変化があったとしても、それは三越側の要求から離れて自由に描けるようになっただけだからかもしれない。このように、背景のはっきりしない作風の変化を感じてくださいという最終章の締め方は、少しだけ違和感があった。また、気になったのは、大戦の戦時体制にどのような作品を作ったかである。非水のキャリア(残したもの)のもうひとつのハイライトが多摩美大創設(前身校の初代校長、のちに多摩美大の理事長になった)であり、大戦を跨いでそれを成し遂げたのだから、戦時にどう過ごしたか、気になった。それを展示で明らかにしなかったのは、キュレーターの意図だったのか。展覧会のメインサイトには、「非水の絵を見たことがありますか」ではなく、「非水という人を知っていますか」、という問いかけが冒頭に示されている。作品をよく知り、おそらく思い入れが強いキュレーターにとっては、非水という人と、その画風を知ってほしいとなるのだろう。たしかに、昭和生まれの私でも、展示作品の中で見覚えのあるのは数点で、非水という名前すら知らない観覧者が多いのではないか。だとすれば、展示構成を組んだキュレーターが思い描いた観覧者は、非水の絵のいくつか(例えば三越デパートのポスター)は見たことあるけれど、描いた人は知らないでしょ、という層と思われる。非水が生きた時代を直接知らない人たちにデザイナーの画業を見せるのに、戦争時代の作品で展示を締める、はキュレーターにはありえない選択だったのだろう。カッコいいモダンデザインは、戦争とは真逆のイメージだからである。他方で、ポスターは戦時のプロパガンダとして一般的と考えれば、非水作品の見せ方として、時代の流れと非水の画業をパラレルに見せる方法もあったかなと思う。
話がややこしくなったが、画業の最初から完熟期に至る全容を見せてもらう今回の機会が貴重だということは、間違いない。なんといっても、杉浦非水は、日本初のグラフィックデザイナーである。福岡県内では、テレビCMが放映され、「モダンであって新しく、かわいい、けれどカッコいい」というフレーズが用いられている。このフレーズ、たしかに本展示の一面の真実を捉えている。それがどのように形作られてきたのかを知る楽しみが、本展覧会にはある。