
大竹伸朗展
東京国立近代美術館|東京都
開催期間: ~
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Don't feel. Think.
ブルース・リーの名言 "Don't think. Feel." は、わけのわからん抽象美術展では誠に便利で、いつも私はその精神で鑑賞している。
大竹伸朗展も同様な心構えで臨んだのだが、感性の鈍さばかりが先行し、タイトルのような感想を持つに至った。
大竹伸朗って4文字を見ると、どうも大竹まことと原田伸郎がイメージされて、足して2で割ったような人を勝手に想像して、スミマセン。
でも、写真や映像で大竹伸朗さん見たら、あながち違ってないんだな、これが。
実際に展覧会行って作品拝見してみると、「大竹まことの知性と風貌有する方が、原田伸郎の馬鹿馬鹿しさでアートやってる」てな感じでした。大竹まことは大竹一樹でも可。
で、大竹伸朗展。
展示作品には通し番号があるだけでキャプションはない。タイトルは当然ないし、いつ作って画材は何か、どこが所有してるのかなどの情報は完全無視。
もちろん、作者や学芸員の解説もない。大テーマ各章の冒頭にはその章の概要はあるも、大したこと書いてない。
アプリ使えとあったのでQRコードダウンロードし作品リスト見るも、一切役立たず。
そんなのは俺の作品には不要だと言う一貫した信念があるんだろうね。
展覧会見た後、スマホでユーチューブの作者コメントを視聴してたら、まさにそのような発言をしておられた。
要するに、言説を弄すより感覚的、衝動的に作品はできるみたいな。
だから、作者の感覚とシンクロできた者は、大絶賛するということになる。
私には無理だった。
見た感じを、あえて語句にするならば、本能の赴くまま、いきあたりばったり、動物的直感、いけいけどんどん、見る前に飛べ、
こんなとこでしょうか。
当展に私がタイトルつけるなら、「カオス高校美術部作品展」。
パワーはある。ティーンエイジャーの無尽蔵のエネルギーとでもいおうか。
高校生が夏休みの1か月かけて、これでもか、これでどうだ、いやいやまだまだと、創作意欲を爆発させたみたいな。
それからすると、若いよね、大竹さん。
現代アートの若手連中にはこのような抽象作品やる者もいるだろうが、大竹さんと渡り合えるやつは、そういないのではないか。
てか、大竹アート自体も、似たような抽象作家の先達は当然いるわけであって、そんなの関係ねえとやりまくった作品を集めたのが当展だ。
それにしても、もうちょい、これのここを見てよとか、これはこういう状況で思いついたみたいなのは欲しかったなあ。
作品に付随するものでなくても、「大竹語録」がポツっと出てればだいぶ違ったはずだ。素人にはトリガーがいるんです。
平日午前中に行ったら、会場ガラガラ。客も予習してあきらめたとしか思えない。
私は虎穴に入らずんばの精神で突入したのだが、虎児はいなかった。
ここに書ける感想を無理やり引っ張り出したら、《モンシェリー》車内に流れてた九ちゃんの「素敵なタイミング」が耳に残ったのと、《ダブ平&ニューシャネル》の演奏映像見て、ポカスカジャンのほうがえーなーと思ったことぐらい。
「音」って飛び道具だけど、ボディブローのように効くね。
会場グルっと回って出たら、30分しか経ってなかった。
2階エレベーター前で、制作風景映像が流れてたので、それ見て理解深めようと思ったが、狭いし、少ない椅子は満席だし、客は動かんし、チラ見でやめた。
皆さん必死で大竹アートを理解しようとなさってるんだろう。気持ちはわかる。
ところで、大竹さんのパトロンは、ベネッセなのかな?
帰りのANA機内ビデオで、北川景子さんが直島訪れる番組やってて、そこに大竹銭湯があるのを知った。
これが、今いちばん興味ある大竹作品です。