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没後70年 吉田博展

没後70年 吉田博展

東京都美術館|東京都

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吉田博はどこからきたのか?

新版画好きは、おおむね川瀬巴水派と吉田博派に分かれると思うのですが、自分はだんぜん吉田博派です(笠松紫浪派の皆さんすみません・・・)。父が巴水派なので、お互いにわかってねーなーと言いあってたりします。私は吉田博が好きすぎて、数点ですけど作品も買いました。サラリーマンでも(いろいろなものを犠牲にして)ムリすれば買える版画って素晴らしい。

ところで、吉田博のあの版画作品の表現は、浮世絵から一足飛びに成し遂げた、洋画家の彼ならではの完全オリジナルだ!ということになっていますが、本当にそうなのか、以前から疑問に思っていました。以下はその疑問に関する私の妄想です。

まず引っかかるのは、吉田博はフランス洋行組の白馬会なんざなんぼのもんじゃ!と思っていたらしいのだけど、にもかかわらず彼の版画作品のカラーパレットは、どう見てもフランスの伝統色のそれだということ。

当時、まだ歴史が浅く独自の文化に乏しかった若いアメリカは、フランスの文化芸術を羨望の眼差しで見ていたらしい。アメリカのマーケットを狙っていた彼は、もしかしたら現地のそういう空気を読んで、狙ってフランス風の色彩を作品に取り入れたのかもしれません。たとえば、吉田が新版画に取り組む切っ掛けとなった3度目の渡米の時期(1924年)は、ミュシャがアメリカで成功を収めた期間とギリギリ重なってるはずなので、その流行の様子を見ていた可能性などもあるのでは。

そしてさらに、吉田博の作品が、ロシアの挿絵画家イヴァン・ビリービンの作風とよく似ていることも気にかかります。空間の構成や陰影の表現がそっくりなのです。特に、暗い前景の背後に広く明るい空を描いて空間を広く見せる手法や、あるいは雲や水面、樹木や草花を抽象化して描く技法がよく似ているように思うのです。そしてやはり、ビリービンもまたフランスの伝統色のカラーパレットで描いています。何か史料的な根拠があるわけではないのですが、吉田がビリービンを参照した可能性は低くないのではと思っています。

誤解があるかもしれませんが、吉田博がパクったパクらないの話をしたいのではなく、彼の作品のルーツを知りたいのです。美術に限らず、誰だって何ひとつルーツを持たない「完全なオリジナル」だなんてことはありえない。世界で活躍した吉田博だからこそ、世界の絵画史のなかでどう位置付けられるべきなのか、改めてきちんと問われるべきではないかと思うのです。

いつかまた吉田博の回顧展が開かれることがあれば、(私の妄想はさておき)そのへんの「吉田博はどこからきたのか?」についてもテーマにしていただけたら嬉しいなあと思います。そうすれば「吉田博はどこにたどり着いたのか?」もより明確になるのではないでしょうか。

あの戦後唯一の作品の、土間のしじまを満たす清涼と、かまどから漏れ出る炎と、戸外のまばゆい新緑は、吉田博の到達点だと思うのですが、それがどこであったのかを知りたいのです。

(補足)
そういえば、展覧会の最後の部屋で流してた動画で、吉田博が黒田清輝を殴ったことについて語られてましたが、あれはそういうまことしやかな噂があったというだけで、事実関係は不確からしいです。ただ、そんだけ不仲だしあいつならやりかねん、と世間で広く思われてたというのは確かみたい・・・。

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