没後20年 真鍋博2020
愛媛県美術館|愛媛県
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「真鍋博2020」(10/1~11/29・愛媛県美術館)を見る。
「真鍋博2020」(10/1~11/29・愛媛県美術館)。
真鍋博(1932―2000)は愛媛県新居浜市出身のイラストレーター。星新一や筒井康隆などのSF小説の挿絵は我々になじみである。展覧会は2004年に京阪百貨店守口店などで「真鍋博展」(約300点)が開かれており、小生、これを以前の東京ステーションギャラリーで見ている。今回はそれを上回る規模・内容なのか?
愛媛県美術館の駐車場は美術館のある松山城の城山公園、二之丸史跡庭園向いあるのだが、監視員さんに、3時間以内でお願いします、と言われる。企画展はいつもの1階展示室ではなく、通常は常設展示がある2階。1階では愛媛県美術館設立50周年記念展をやっており、えっ、「真鍋博2020」はそれより力を入れていない展覧会なの?と思う。2階で入場料を払い(新居浜市美術館の記念入場券を持っているので割引料金)、作品リストを取る。A3用紙10頁で864点!うっひぇー、凄い量。展示は常設展示室1から。扉に月球儀らしき物を持つ真鍋の写真、裏はパラシュートを担ぐ真鍋の写真がプリントされている。ポスター。最初は東京国際見本市やEXPO70アストラマなどのポスターが12点。ごあいさつ、のパネルがあって、ポスターカラー作品が5点。日本万国博覧会の『シンボルゾーン』(1967年)がある。ここの後ろの壁紙も真鍋のイラストから。17点。
第1章 油絵との出会い。1932年、愛媛県宇摩郡別子山村(現・新居浜市)生まれ。1951年、多摩美術大学油画科入学。1954年、同大学卒。1955年、堀内康司、池田満寿夫、本田克己らとグループ「実在者」結成。奈良原一高や靉嘔も参加。展示室、『静物B』(1952年)は多摩美術大学在学中の作品で、公募展初出品作。キュビズムの影響がある。『湿地区』(1953年)は第7回二紀会展で賞を受賞した作品。4人の人物の表情は乏しい。『布団』(1955年)は第7回読売アンデパンダン展出品作。布団に横たわる人物の顔は極端に小さい。『セイブツ(人間)』(1955年)は第9回二紀会賞受賞作。テーブルとナメクジのような生物。『鉛筆の鳥』(1958年)は10本の鉛筆に羽が付く。面白い。でもこの辺の作品は油彩画だが厚く塗られておらず、アクリル画のよう。グループ`実在者‘のメンバーの作品展示もある。28点、その他3点。
印刷への挑戦。1956年、「ユリイカ」の表紙及びカットを担当。1957年、漫画集『食民地ニッポン』〔昭森社〕刊行。「安井賞候補新人展」(東京国立近代美術館)に出品。1958年、結婚。展示室、『少年の時計』(1960年)には所々にゼンマイがコラージュしてある。『コラージュの日本』(1961年)は東京の絵葉書に真鍋の感じた東京を描いたもの。展示は5点。『鳥の楽園』(1969年)は1969年カレンダー原画。『レース編と刺繍』(1962年)はレースで靴の形に切ったものをコラージュした作品。『永遠の幸せをお祈りいたします』(1996年)は新居浜市のテレホンカード原画。『未来のハイウェイ』(1979年)は図録表紙、チラシに採用された作品。島の展示には『花札自然画』(1972年)。挿絵を描く為だけ、ここまでする必要もないのにこだわって作った花札。23点。
真鍋博を物語る資料。デッサンや写真、通知表、賞状、案内状など。スケジュール帳があるが、だんだん日記帳と化している。7点、資料48点。
第2章 線の画家、誕生!1959年、『動物園』〔書肆ユリイカ〕刊行。1960年、『第七地下壕』にて第1回講談社さしえ賞受賞。1964年、新潟地震発生。「新潟日報」にその取材記を寄稿。1979年、『真鍋博の線の画集』〔平凡社〕刊行。展示室、『ロートレアモン全集』(1959年)はエッチングの仕事をするきっかけとなった本。『寝台と十字架』(1958年)は2冊目の自費出版漫画集。絵本『おいらん物語』(1959年)の表紙と挿絵原画が7点ある。雰囲気あって良い。『ロバート・ブロック特集』(1959年)は早川書房が装幀に真鍋を抜擢するかどうか、試金石的に依頼した作品。これの成功が後のミステリーマガジンその他の仕事に繋がった。『第七地下鉄』(1960年)は第1回講談社さしえ賞受賞作。『あま酒売り』(1961年)は真鍋の数少ない時代小説の挿絵。『リバイビングドライビング』(1962年)はかつての日本を舞台にし、現代感覚をない交ぜにした作品。なんだ、山口晃よりも30年も前に真鍋がやっているじゃないか!『あすの新潟のために』(1964年)は1964年6月16日に起こった新潟地震の様子をレポートしたイラスト。『植物園』(1976年)、それからその後の連載『昆虫記』(1976年)。『ものがたり日本の神話』(1965年)は毎日小学生新聞に連載されたもの。『ベティアンよ帰れ』(1962年)は縦線と横線の影だけで描いている。良い。とにかくここイラストの展示はかなりの量で、次の展示室への通用口の上にまで展示されている。143点。
愛媛の昔語り。1959年、愛媛新聞に愛媛に古くから伝わる昔話『愛媛の昔語り』連載。展示室、島の内側にはその『愛媛の昔語り』(1930年)。その内に収録される『石イモ』の朗読が流されている。33点。
絵地図の思想。1967年、サンデー毎日に『真鍋博の鳥の眼』連載。展示室、島の外側には『真鍋博の鳥の眼』(1967-68年)。東京・丸ノ内や新宿、神戸や長崎といった街を鳥の眼線で描く。細かすぎて、目が痛い。ご当地・松山は上に拡大して掲示してある。19点。
展示室に移動する通路にはオレンジ色のタペストリーによる年譜。図録の後ろの方の頁に同じようなものが付いていた。
常設展示室2へ。第3章 色彩の魔術師。1965年、『星をたべた馬』〔岩波書店〕刊行。1970年、大阪万博の三菱未来館起案に参加。万博開催記念たばこのパッケージデザインやガイドマップなども手がける。沖縄海洋博テーマ委員となる。1971年、『自動車しどうしゃ』〔主婦と生活社〕刊行。1973年、『自転車賛歌』〔ぺりかん社〕刊行。1983年、科学万博三菱未来館の起案にも参加。真鍋は印刷の色を指定する為にトレーシングペーパーを用いており、展示室には原画にトレーシングペーパーを被せ、それに色指定している展示も。『星をたべた馬』(1965年)は初めて製作した画集。展示室には6点あるが、色が美しい。続いては日本万国博覧会・エキスポガイドの原画など。新居浜市美術館でも見たが、こちらにも数ある。『大気は走り、地球は巡る』(1971年)は横の線でいろいろな乗り物を描く。『自動車じどうしゃ』(1971年)は6点。トレーシングペーパーで色指定をしている。『A Morning in 1983』(1972年)は日立の海外向け雑誌に掲載された作品。『女性風俗90年』(1962年)は1872年から1962年の女性風俗を円形に描いたもの。『宝石箱』(1964年)は資生堂の雑誌に描かれた作品。展示室には3点。画の白抜き部分は商品を掲載するスペース。62点。
ミステリーマガジンの魅力。1966年7月から13年間、『ミステリーマガジン』〔早川書房〕の表紙、タイトル、目次を担当。展示室の島には『ミステリーマガジン』の表紙原画。一部は写真を取り入れたものもある。47点。
書籍表紙。次の空間には表紙画を担当した書籍がずらり。3段掛、6段掛の展示があって、あとにも。あまりに多すぎて細かく1点1点見ることはできず、一応、網膜に読み込ませるだけ。アガサ・クリスティーのものが非常に沢山ある。179点。
第4章 筒井康隆の世界。1975年、筒井康隆「七瀬ふたたび」〔新潮社〕の装幀担当。以降、仕事多数。1991年、朝日新聞で筒井康隆「朝のガスパール」連載開始。挿絵を担当する。展示室、続いては1章割いて筒井康隆との仕事。表紙や挿絵原画、書籍などの展示がある。島には真鍋初の新聞連載小説挿絵、かつ筒井との最後の仕事となった『朝のガスパール』(1992年)の展示。使用していた油絵道具一式の展示もあり、絵具にホルベインとクサカベのものを確認する。66点、資料2点。
常設展示室2の出口付近の空間には天井からステンドグラスと自転車。谷川俊太郎が真鍋に宛てた詩『にがさ』を朗読する音声が流されている。展示室出た所では水樹奈々による星新一『妖精』の朗読音声。
常設展示室3へ。反時計回りの動線のここの外側展示は、第5章 星新一と真鍋博。1958年、星新一「おーい でてこーい」『宇宙塵』の挿絵担当。以降、仕事多数。1983年、星新一との共著『真鍋博のプラネタリウム』〔新潮社〕刊行。真鍋博と言えば星新一を連想させるくらいのものだから膨大な仕事を残しており、ここにも沢山の展示。すでに常設展示室1と2で沢山の展示物を見て疲れ気味なのに、もうこの展示の量は拷問に近い。164点。
内側の展示は、第6章 モノを売動かす。1960年、久里洋二、柳原良平と『アニメーション3人の会』結成し、草月ホールで定期的に上映会を行う。展示は映像作品の原画や絵コンテ、脚本やセル画などの紹介。奥の壁を使って映像作品を上映しているのだけれど、キャプションが無いので題名等がよく判らない。21点。
第1.2展示室と第3展示室を繋ぐ廊下ではモニターで映像『真鍋博のイラストレーションによるシネ・ポエム作品No.1』(9分)が流されている。内容は『潜水艦カシオペア』(3分・1964年)、『宇宙鳥』(5分・1965年)、『追跡』(2分・1966年)、QPマヨネーズコマーシャル『三味線とオートバイ』(1961年)の4本。新居浜市美術館の方で見たアニメーション・フィルムの修復された4作品はこれらの作品なのだろうか?2000年、がん性リンパ管症のため死去。享年68。
以上809点、その他3点、資料50点。あまりに膨大な出品量。真鍋がいかに沢山の仕事をして来たかは、展示室をぐるっと廻っただけでよく判る。見ごたえ十二分。小生、急いで見ても2時間半かかったが、真鍋ファンがゆっくり見ればどれだけ時間がかかることやら?しかしながら、だからこそ不満も残る。新居浜市美術館で「真鍋博の贈りもの-没後20年の歳月(とき)を経て-」を同時期開催したことで、単体の展覧会としてこちらは初期の重要な油彩画何点か、小生が最も惹かれた『動物園』、それから出身地・新居浜を中心に四国に残した仕事がばっさり抜け落ちている。当然、その部分は図録未収録。ここは2011年の「菊畑茂久馬」展で使われた、同じ展覧会名の下、福岡市美術館会場と長崎県美術館会場の2ヶ所での開催、図録は両方を合わせた決定版の発行、の手法を取って欲しかった。そこのところがとても残念。逆に言えば「真鍋博2020」を見に来た人は、「真鍋博の贈りもの-没後20年の歳月(とき)を経て-」の方も忘れずに見なければなるまい。2つ合わせると、極めつけ超お薦め展覧会。第1展示室前では図録、書籍、ポストカード、クリアファイル、御朱印帳、ブックカバー、栞、トートバック、マグカップ、別子飴、お酒の販売。¥5,000-以上購入の先着60名には文庫本BOXのプレゼント付きだそうだ。分厚い図録のみ求めたが、こちらの展覧会出品作全点収録でもないし、まとまりから言うと2004年展図録に劣るという、大変中途半端な内容のもの。
1階で開催中の愛媛県美術館設立50周年記念展の方も「真鍋博2020」の半券で見られたので、こちらも急いで見る。知らない愛媛県出身画家作品が沢山。これを残り30分で見るのも酷ですよ、駐車場の警備員さん!