
ドレス・コード?――着る人たちのゲーム
京都国立近代美術館|京都府
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着ること=思考停止?
「ドレス・コード?―着る人たちのゲーム」展は、簡単にいえばファッションという現象の構造を考察してみせる展覧会だ。ただ珍しい豪華なファッションを眺めて楽しむのもいいけれど、私たちを取り巻く「着る」ということの意味をじっくり考えてみるというのも刺激的な体験になる。
展覧会のタイトルをはじめ、各章題には「?」が付されている。「?」だらけの展覧会。なぜ、こんなに「?」だらけなのか。これは、展覧会からのひとつのメッセージなのかもしれない。私たちは着ることに無意識的過ぎるのではないか、と。つまり、常日頃から行っている「服を着る」ということについて、それがあまりにも身近な行為であるために、私たちは思考停止しているのではないか、と問われているように感じた。
「着る」ということはある意味ではとても個人的なことだけれど、なぜそれを着ることになったのかということを考えはじめると、それは社会的な視野にまで拡大していく。そうなると、ひとつの美術館の展示室でおしゃれな一点の衣服をさまざまな鑑賞者が眺めている状況すら、どこか奇妙な感じがする。みんなきっと自分に重ね合わせながらファッションの展示を見ているのだろうけれど、展覧会が示しているのはたぶん自分ひとりには終始しない現象なのだ。それを、じっさいに見ず知らずの他人と同じ空間で鑑賞している。
18世紀頃の宮廷衣装やコム・デ・ギャルソンの奇抜なドレスなど、もちろん展示されている衣服たちはほとんど一般的には着ることがなさそうなものばかりなのだが、ショップで服選びをするために衣服を見るのとは違う、着ることを俯瞰的に見ているような状況は、どこか気恥ずかしい感じすら与える。どうしても、他の鑑賞者の着用する衣服が気になってくるのだ。それもそのはずで、ファッションの展覧会だからか「おしゃれな人」がそれなりにいて、一目でわかるコム・デ・ギャルソンを着ている人もいた。
…なぜか、自分の服装が恥ずかしくなる。
ドレス・コード?美術館にドレス・コードってあるのだろうか。美術館という公共空間ですら着ることの意味を縛るのだろうか。いや、公共空間だからこそ、なのだ。とはいうものの、むしろこの「?」だらけの展覧会は、服を着たマネキンがそれを混沌に帰している。ひとつのテーマのもとに集められ展示された多様な衣服は、なんと自由にみえたことか。
ドレス・コードは「着る」ことにおけるひとつの思考停止なのかもしれない。服を着ると、なぜ自分がそれを着ているのか、忘れてしまうのだ。かぐや姫の天の羽衣のように。自分が何者なのか。「着る」ことの効力はすさまじいということだろうか。ファッションに「?」を投げかけることは、この思考停止に対する本展の刺激的な試みなのだ。