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それで私が「裸体美人」とつけたのだった。

「1976年の『岩手日報』の記事で、萬鐵五郎の50回忌に東京で記念の会がもたれたという。」

首席卒業の同級生の画家・神津港人

「25人の募集なのに28人とってくれたんだ。」

「岩村先生から「あのとき、25人しかとれないのに、君ら三人は中学の内申成績がいいので試みに入れたんだぞ。アッハッハ」と笑われた。」

「このとき萬さんはトップで入ってる。」

「卒業制作を見せられて「お前の女房だろう」と言ったら「そうだ」という。題名は決めていないとという。それで私が「裸体美人」とつけたのだった。」

萬鐵五郎記念美術館「木の間通信」2025.12/2026.1月号より


プロフィール

松山賢
岩手県御所野遺跡近くで生まれる。
湯舟沢遺跡すぐ横で育つ。
横浜市三殿台遺跡そばに在住。
京都で日本画制作を経て、
土器、人形、彫刻をつくりはじめる。
最近は油彩画、野焼きの陶彫を制作、発表している。
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