藤野一友と岡上淑子
福岡市美術館|福岡県
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シュールに明けた2023年
ほんとは2022年締めの展覧会として12月24日に行くはずだったが、クリスマス大寒波襲来し、大雪で高速バスが運休となり福岡に行けなかった。
で、あきらめきれずに年越しでリベンジと相成った。
決行は会期ラス前日。今度は天も見放さず、快晴。バスは快調に走って、予定通りに天神着。路線バスに乗り換えて福岡市美には10時過ぎに入れた。
藤野一友と岡上淑子。
そもそもこの二人、全然知らなかった。美術館HPで見て、こりゃ面白そうだと嗅覚が働いた。
藤野と岡上は夫婦で、どちらもシュール路線を貫いたアーティストだ。藤野は52歳の若さで亡くなってるが同い年の岡上さんはご健在だ。
数年前に庭園美で岡上展があったそうだが私は見ていない。
画風は、藤野がダリかキリコかマグリットかという完璧なシュールレアリスム。
一方の岡上はエルンスト風な写真コラージュの作家だ。
会場は藤野と岡上とで真っ二つ、完全分離の展示方式。入場したら右側が藤野、左側が岡上の展示スペースとなっている。
藤野側へとまずは進む。
作品はほとんどが当館所蔵で、その絵のインパクトと共に、ここにこんなものすごいコレクションがあったことにも驚いた。
制作年は1950~60年代のわずか10年間ながら、なんと濃密なシュール絵画を描き上げたのかと食い入るように見て回った。
とにかく絵が上手くてイメージも奔放だ。ギリシア神話をモチーフにしたものから、ボスの《快楽の園》みたいな中世風怪異世界を描いた作品もある。
でも戦後の画家だけに、そんなに古風にこだわっているわけでもなくて、例えば《町工場のバラード》は、旋盤やガス切断で人体を加工するという絵で、面白い。
女性裸像は頻繁に出て来る。印象に残ったのは乳房に透けて見える静脈を描いたもの。
これ、最近の超リアル写実画でよく見るが、今から60年前に藤野がやってたんだね。脱帽だ。
会場最奥では大林宣彦と藤野の共作映画《喰べた人》が上映されてた。
今見ての驚きはないけど、1963年の作品と思えば、よく作ったなと感心はする。
ラストの「口から包帯」シーンは、当時話題の映画《モスラ》がヒントかな(笑)
スパゲッティを貪り食う客に、岸田森と草野大悟がいたのが懐かしかった。
藤野会場を出て岡上会場へ。
こちらは打って変わってモノトーンの世界。展示パネルが藤野が白だったのに対して岡上は薄紫で、なかなかいい配色だ。
コラージュの本格的な作品展を見るのは初めてだが、写真を切り貼りするだけでここまでやれるのはたいしたもんだ。
しかも、これも藤野同様に今から70年前の作品でありながら古臭さがないのがいいね。オシャレなカフェの壁に、いかにも掛かってそう。
岡上は「私はハサミと糊しか持っていない写真家だ」と言っている。
確かにそうだと思う。雑誌の写真を切って貼ってできたものは、紛れもなく岡上の心のレンズで撮影した写真に相違ない。
それは各作品のタイトルと合わせて見ればさらに共感を呼ぶ。《沈黙の奇跡》、《廃墟の戦慄》、《予感》etc. どれもが絶妙でドンピシャなタイトル。
タイトルなんか不要だ的な現代アートとは一線を画す矜持を感じる。
岡上がコラージュ作品を続々と制作していたのは1950年代前半の数年間のみ。
藤野との結婚で作家活動をやめ、藤野が病に倒れて10年間の結婚生活も終了。
以後は、故郷でコラージュを再開することもなく過ごして来たという。
藤野と岡上の二人展が今回開催されたのは、最近の岡上再評価が大きな要因となっているからだろう。
作品的には全く異なるものだし、二人が夫婦であったことが互いの創作活動に正の相乗効果として働いてはいないようにも思う。
しかし、福岡市美に眠っていた藤野作品を40年ぶりに登場させ、岡上とコラボさせた企画は素晴らしい。
2023年新春、いい展覧会からスタートできて嬉しい限りだ。
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- micco3216さん